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石橋湛山さん(子供の頃思い出しました) 

2014年10月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



NHK「智恵泉」で石橋湛山さん取り上げていたので興味深く視聴しました

石橋湛山さんは、データーに基づいた説明するのが信念
何故日本は国家予算の半分投じて第二次大戦するの?( 米英貿易額18億円、植民地9億円です)
信念の人で生涯、日本・中国・米国・ソ連 との平和の構築の必要性訴えていました














石橋湛山さん(ネットより引用)

石橋湛山氏概要
戦前は『東洋経済新報』により、日本の植民地政策を批判していました
保守合同後、自民党総裁選を制して総理総裁となったが、在任2ケ月弱で退陣しました
退陣後は、中華人民共和国との国交回復に力を尽くしました

ジャーナリスト時代
東洋経済新報社に入社し、大正デモクラシーの「民主主義」を提唱しました
帝国主義に反対し、平和的な加工貿易立国論を唱え、台湾・朝鮮・満州の放棄を主張
日中戦争勃発から敗戦に至るまで『東洋経済新報』誌上にて長期戦化を戒める論陣を張っていました

日本敗戦後
日本は科学立国で再建を目指せば日本の将来は明るいとする先見的な見解を述べています
「靖国神社廃止の議」を論じて靖国神社の廃止を主張しました
高橋是清の政策は、デフレ不況を脱出するための政策で、軍備拡張にはつながっていと東京裁判で弁護しました

石橋戦後政界へ
大蔵大臣在任時には、インフレーションを進めて「石橋財政」を推進しました
米国に勇気ある要求する石橋は国民から“心臓大臣”と呼ばれるも、米国に嫌われGHQによって公職追放された。
石橋は、中華人民共和国、ソビエト連邦との国交回復などを主張したが、米国の猛反発を受けました
鳩山の日本民主党と吉田から継承した自由党が合同し、自由民主党が結成され石橋も合流入党しました

石橋総理総裁として
日本とソビエト連邦が日ソ共同宣言により国交正常化するも鳩山首相が引退
米国追従を主張する岸信介と、社会主義圏とも国交正常化することを主張する石橋が自由民主党総裁選争う
親中派の石橋政権の樹立に、岸を望んでいたアメリカ大統領アイゼンハワーは狼狽しました
内閣発足直後に、石橋は軽い脳梗塞で風呂場で倒れました
2ヵ月の絶対安静が必要との医師の診断を受けて、石橋は「私の政治的良心に従う」と潔く退陣しました
石橋の首相在任期間は65日で、歴代で3番目の短さです

石橋総裁退陣後
脳梗塞の症状は軽く、石橋は政治活動を再開し、日本がその掛け橋となる日中米ソ平和同盟を主張
「日本と中国は両国民が手を携えて極東と世界の平和に貢献すべきである」との石橋・周共同声明を発表しました
自民党内ハト派の重鎮として活躍したが、総選挙で落選し政界を引退しました

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