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第71回 昭和35年秋 運動会(1) 

2014年09月15日 外部ブログ記事
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中学3年の9月、バレーボール部顧問で保健体育の教師が、「今日は、ラジオ体操を何時もと違って、右から始めよう。」とみんなに伝えた。
教師はラジオ体操を大切に考えている様で、いつも丁寧にきちんと正しく行うよう言っている。
ひごろ、教師は対面で右から体操を行っていたが、今日は先生の背中を見て、真似をしながら体操をすることになった。
まず、第一ラジオ体操だが、みんなは間違う時もあるが、どうにか右から体操する事が出来た。
私は終る頃には、「12345678」と言いながら体操する時、右から動く所は「みぎ2345678」と言いながら続けると、案外間違えずに出来ることが分かった。
次は、第二ラジオ体操だが、教師は対面になり左から動きを始めた。
みんなはそれを真似しながら続けたが、混乱してくる級友もいて、笑いながらの体操になった。
私は、第一と同様に右から動くところは、「みぎ2345678」と言いながらだと、スムースに体操ができた。
指名され、私が前で対面して、みんなはいつもどうり第二ラジオ体操をすることになった。
これが、案外簡単で、前のみんなを手本にして同じように動けばいいのだ。
もちろん、「みぎ2345678」と頭の中で、言いながら体操したが、楽しくできた。
授業が終って教師に呼び止められた。
「運動会の終わりの整理体操の時、第二ラジオ体操を、みんなの前でしてくれたまえ。」と言われた。
昨年の運動会の整理体操の場面が目(脳)に浮かび、私より上手でスタイルの良い運動部のメンバーが、整理体操をした方がよいと思えた。
「もっと上手な人がいいのでは?」と応えると、
「君は、丁寧に体操しているし、右から出来るからいいんだ。」と先生。
バレー部退部したことを思い出し、ラジオ体操もことわったらまずいのではと思い、引き受ける事にした。
その頃、将来を考え始めた私も級友も、高校へ行く事を話し合っていたのだ。
内申書があることが分かり、真面目な中学生である必要を感じ始めていたので、補習授業を受けない私は、ラジオ体操役を引き受ける方がよいと思えた。
帰宅して、ちょうど田舎から来ていた祖母と母に、「運動会の時、ラジオ体操を演台ですることになったんよ。」と伝えた。
「ブルマーを穿いて、太ももを出して、高い所で体操をするんかいのう。」
「男がすればいいんじゃ。なんとはずかしいことじゃ。嘆かわしいことじゃのう。私にゃあ考えられんのう。」とおばあちゃん。
母は、笑っていた。
運動会の準備は、もう一つあった。
3年生女子は、組別対抗ムカデ競争があるのだ。
先頭のメンバーの右足首と2番目のメンバーの右足首をたすきでつなぎ、左足首も同様にする。
つぎに2番目と3番目メンバーも同様に繋ぎ、15名のムカデの様な列を作る。
15名同時に右足を上げて下ろし前進し、次に左足を上げて下ろして前進する、ムカデが進むような競争だ。
チームワーク作りのためにも、かなりの練習が必要で、休み時間や放課後、忙しかった。
たびたび転ぶので笑いの絶えない練習で、女子全員親しくなった気がするし、3年生で一番記憶に残る愉快な活動だったと思う。

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