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のびたの日記

不思議な縁 「赤い靴」と「山のけむり」 

2014年07月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



不思議とか偶然とか必然とか 私には歌の縁が付いて回る
童謡の 赤い靴 歌謡曲の 山のけむり いずれも偶然以上のものが感じられる
私は童謡唱歌うたう会を長い間代表をして メンバーと共にコーラスを楽しんだ
 
そして会でも うたごえバスを企画して あちこちの 歌の歌碑なども訪ね歩いた
浜千鳥 母さんの歌 みかんの花咲く丘 宵待ち草 月の沙漠 船頭小唄 あざみの歌
そして 静岡・日本平に有る 赤い靴の母子像をも行った
 

 
赤い靴は 誰でもが知っている哀しい童謡である
旧清水市に居た岩崎きみちゃんと言う 薄倖の女の子の話で実在していた
父は刑務所に入り 母は のちに知り合った男性と北海道に渡る
 
羊蹄山の山麓の開墾は厳しく寒冷地 母は病に冒された娘を米人宣教師に預けて行く
この宣教師も本国へ帰る時 既に病状が悪化 東京・麻布の孤児院に預けるしかなかった
母が居た入植地は2年で挫折して 札幌に行き彼は就職した
 
たまたま隣に住んでいた野口雨情が 毎日 娘を偲び啼く母を見て 赤い靴の作詞をした
母も雨情も 米人に預けたきみちゃんは そのまま米国へ行ったものと思っていた
きみちゃんは9歳にして孤児院で亡くなった 結核性腹膜炎と記されている
 

写真はお借りしました
 
一度も分かれた娘と会うこともできず母も亡くなったが あまりにも哀しすぎる
せめて故郷の清水が見下ろせる場所で 母子を会わせたいと願いを母子像にした
この時尽力したのが 大倉芳郎さんと言う作詞家と アコーディオンの横山太郎だった
 
母子像披露に当たって きみちゃんの赤い靴 と言う曲も出来 ここで歌われた
きみちゃんの親戚の方も同席して 号泣されたと聞く
作詞 大倉芳郎さん 作曲 横山太郎さんである
 

 
私が添乗する普通の募集ツアーで ハーモニカで車内を和ませていた
その時 偶然に大倉芳郎さん がお客で参加されていたのである
山のけむり の歌は私は知らなかったが 赤いランプの終列車 は知っていた
 
その後 今度は会社から団体ツアー添乗を私に依頼されてきた
コーラス団体であり その中に事務局をしている 大倉芳郎さんの娘さんが居る
私もびっくりして この前 お父様を私のツアーで案内しましたよと互いに驚く
 

写真はお借りしました
 
その縁もあって 私に再度添乗依頼がされて 今度は信州一泊ツアー行く
目的は 大倉芳郎さん作詞の 山のけむり 歌碑を訪ねることである
千曲川にかかる小諸大橋のたもとに公園があり ここに歌碑が建立された
 
山のけむりとは 浅間山の頂上近くから今でも時折見える けむりである
娘さんも前にして 私がキーボードを用意して 全員でこの歌を歌った
バスの車内も 私の伴奏でうたごえツアーとなった
 
因みに このコーラス団体の講師は 中田順子さん オペラ歌手である
あの 早春賦 の中田章 さんの姪っ子でもある
プロ セミプロが居るメンバーの中で 怖れもなく私が伴奏をしていた
 
中田順子さんに あまりにも素人な私の伴奏で済みませんと私が言う
良いのよ バスの中でキーボードを弾ける人はあなたしか居ませんよと笑われた
確かに私の専売特許? 他に聞いたことが無い
 

 
墨田のカチューシャと言う団体に 毎月2回 今でも私が講師として出かけている
ここでは年に一度 イベントがあって このカチューシャも出演する
そして メーンに 各分野で活躍している方を講師として呼ぶ
 
2年前 なんと アコーディオンの奏者としての 横山太郎さんを招いていた
翌年 亡くなられたが 素晴らしい演奏を聞かせて貰えたのが今でも心に残る
赤い靴の母子像の 関連する方に不思議な縁で巡り合えた これは偶然か 必然か
 
    最後までお読みくださいまして有難うございました m(_ _)m



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