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常識人光秀が何故謀反を? 

2014年06月25日 外部ブログ記事
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明智光秀の重臣と、四国の長宗我部元親が交わした書状発見

明智光秀の重臣の斎藤利三と長宗我部元親が交わした書状です
長宗我部元親から利三に宛てた書状では、元親は織田信長に恭順の意を示していています
織田信長は、四国への出兵を既に決めていました
















本能寺の変(引用)

文化人明智光秀は、主君の織田信長を何故襲ったのか?
光秀が、元親に四国全体を領有させようと、信長に交渉したが失敗したとの説
光秀が安土城での徳川家康の接待を失敗し、領国を取り上げられた説
「魚が腐っているぞ!」信長の叱責で、従順な光秀がキレた説 
 
「本能寺の変」は、邪馬台国の所在地論争と並んで日本史最大の謎です
今回の文書は、「本能寺の変」の謎解きの大発見です  

今回の書状では
信長の四国政策の突然の方針転換に対する、長宗我部側の率直な戸惑い
長宗我部は、徳島市の城は撤去するが、南部・西部の所領の城は、土佐を守るために残して欲しいと訴えています
最終的に、明智光秀は、四国攻めに加担するか、謀反に立ち上がるかの決断に迫られていました

四国攻めは、信長の三男織田信孝を総大将に出陣する予定でした
長宗我部との取り次ぎ役の光秀には、業績を全面否定される屈辱結果でした
ライバルの秀吉にも追い落とされるとの思いで、クーデターに及んだのではないか?

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