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平成の虚無僧一路の日記

九州の虚無僧寺 

2010年10月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「九州には虚無僧寺は1カ寺しか無かった」と
書いたが、高橋空山『普化宗史』を見たら、
数カ寺あった。

福岡市妙薬寺前町 一朝軒
柳川市      江月院
浮羽郡吉井町  林棲軒
長崎市古町  玖崎寺(松寿軒)
熊本市     南心寺・南松軒(無住)
佐賀市     一宇軒(無住)

虚無僧寺といっても、虚無僧は葬祭を執り行わないので、
墓地は無く、正規の寺ではなかった。所詮、雨露を
しのぐ草庵のようなものである。長崎の玖埼寺などは
敷地「3間×6間半」というから、わずか20坪足らずだ。
人一人住むのがやっと。

熊本の南心寺や佐賀の一宇軒などは「無住」とあるので、
いつの頃か、虚無僧がやってきて棲みついたが、亡く
なれば「無住」となったのであろう。

だが、江戸時代は浪人や無宿人の詮議は厳しかった。
今日のように勝手に虚無僧になって、諸国放浪はできない。
一応、しかるべき虚無僧寺で修行して「鑑札」を受け
なければ、偽虚無僧として捕らえられた。藩によっては
他国からの虚無僧の入国を禁止している所もあったのだ。

九州に虚無僧が現れるのは、明治以降か。九州は温かい
ので、無宿人には住み良い。大正、昭和にかけて名を
はせた谷狂竹は最後は戦後、熊本に寄宿している。
そして谷派の尺八は「虚鐸(きょたく)」と称して、
熊本の西村虚空に伝わり、その門弟たちが九州各地で
活躍しているようだ。

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