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たかが一人、されど一人

読後感「巨人たちの落日」ケン・フォレット著 戸田裕之訳 

2014年04月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

著者ケン・フォレットについてはデビュー作「針の目」を読んだ時からファンとなって以来何作品か読んだと思うが、印象に残っているのはやはり長編であった「大聖堂」である。この作品も相当な長編で500頁の文庫本が3冊に及ぶ読み応えのある作品である。物語は1911年の英国はウェールズの炭鉱町から始まる。日本の暦で言えば明治の終りまたは大正の始まりで、我が両親たちの幼少時代であるからそんなに古い話ではない。司馬遼太郎の「坂の上の雲」などを読むときは、少し時代小説を読むような感覚に陥って、自ら時代考証を考えることも無く、面白ければいいではないかで済ませていた。しかし、この物語は面白いだけでは済まされない気がする。知っているつもりになっている近代史について、余りに知識が貧弱であることを先ず思い知らされた。炭鉱の鉱夫の家庭の少年が働き始めるところから物語が始まり、この少年も主人公ではあるが、他に主人公が沢山いて、次々に登場してくる。次に登場してくるキーパーソンは、この炭鉱を所有するウェールズの貴族(伯爵)とその一族。当時のヨーロッパ貴族社会は貴族同志で広い付き合があり、花の都パリを中心として華やかな社交があったことが描き出されていく。これが著者が巨人と呼びたかった人種に違いない。事実この伯爵の奥方はロシア皇帝の娘との設定になっている。フランスは既に共和国になっている筈だから、階級制度がどうなっていたかよく分からないが、他のヨーロッパ諸国(ロシアを含む)は封建領主のような貴族社会と、労働者の庶民の間には厳然たる階級差別があったようでもある。しかしこれが又非常に微妙なところでもあるが、日本の昭和20年当時と共通するところがあるように思う。即ち、貴族は居るにはいるが、国家も確立しているので国会や国軍も存在している。国家間の利害対立も当然起こりつつあるのだ。そして1914年、サラエボでオーストリアの皇太子が銃撃された事件をきっかけにヨーロッパ全体が戦争に巻き込まれていく。戦争により、戦前親しく付き合っていた貴族が否応なしに戦いに引き込まれていく様は、男女関係を絡めて見事に描いている。友達付き合いしていた貴族同志は勿論だが、一般庶民は戦争となれば消耗品となるので、誰も戦争なんか望んでいない。ごく一部の野心家が戦争を引き起こし、敵味方の別なく多大な犠牲が強いられる。特にロシアでは戦争が革命に火をつけた意味があったようだ。スターリン以前のトロッキーやレーニンと言った人物がどんな役割を果たし、ロシアの社会主義革命とは何だったのかがぼんやり分かってくる思いがした。4年に亘る戦争に終止符を打つきっかけを作ったのはアメリカの参戦だろう。日本からも代表が出席したパリの講和会議にも著者は言及している。戦勝国が敗戦国を徹底的に復讐するのは何も第2次大戦だけのことではないらしい。日本代表の牧野伸顕が人種差別を止めるべきと発言したが、誰も耳を貸さなかったことまで記述されていた。戦後主人公たちはそれぞれ傷つきながらも生還する。そしてこの大戦以降の世の中が劇的に変わり、貴族は没落していくが英国の労働党であれロシアで台頭した革命勢力、ドイツで立ち上がった新しい社会主義労働党等々、何れも一筋縄でハッピーエンドになりそうもないことを暗示して筆を置いている。日本では明治維新と第2次大戦が歴史の大きな転換点だが、世界史的に見ると第1次世界大戦はこの2件を合わせたに近いターニングポイントだったかのようだ。その大事件を餡子にして1911年から1924年に亘る長丁場を実に上手に、又面白くなる様に人物を設定してくれている。この感想では触れることが出来なかったが、アメリカがヨーロッパ諸国と少し異質であることも実に上手く描いてくれていることを最後に書いておこう。

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