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第49回 昭和33年4月 中学運動部で気分爽快 

2014年04月13日 外部ブログ記事
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4月に入るとすぐに、中学新1年生の組分けの参考にするため、実力テストと知能テストがあるというので、中学校に行ってテストを受けた。
運動場や体育館も広く、運動クラブの部員達が活動していた。
校舎も長いし校庭の樹木も高く、大きい学校に驚く。
数日後、中学生活にワクワクした気分で入学式を迎えた。
みんなが頭がよいと言っている聖君と、仲良しの礼子ちゃんと同じ組になったので嬉しい。
聖君は、6年の3学期、隣の小学校の生活発表会に連れて行ってくれたので、親しいつもりでいた。
しかし、中学生になってから、彼から話しかけることはなかったので、私も話しかけなかった。
しばらくして、「入学式前のテスト結果を参考にして、成績のよい者が片寄らず平等になるようにクラス編成をした。」と中年の担任が話す。
担任は若いころ商業学校に行って、商業英語の勉強をしたことがあり、戦後米軍基地のある岩国で暮らしたことがあるらしい。
「若い時、英語を勉強したので、戦後米兵と話しが通じて得をしたし、英語と商業科の教師の職に就けた。みんなもこれからは英語ができると得をするので、よく勉強するように。」と担任が話す。
損得で勉強するよう勧める話しは、初めて聞いたことなので印象に残った。
6年生の時から、私は友達の満喜子ちゃんに誘われて、我家から西に500メートルの所にある英語教室に通っていた。
先生は、「朝6時からのNHKの英会話講座を聞くように。」と教室の皆に勧めた。
先生の話す英語は、NHKの先生の英会話と似ていて、舌の動かし方を見せて発音の仕方を教えてくれた。
教室に通っていた満喜子ちゃんと堅ちゃんは毎朝ラジオを聴いていて、NHKの先生と似ている発音なので、すごいなーと感心していた。
私は早起きしてラジオを聞き始めたが、毎朝は続けられず、時々聞いただけだ。
NHKの先生のように発音できず、話したり読むことは苦手だったので、書くことに気を付けようとした。
担任の英語は、NHKの先生と似ていなかった。
「あれは、ジャパニーズイングリッシュだ。」と誰かが言う。
その担任が、ABCが正しく書けないとか読めないからと、英語が苦手な生徒のミスを、軽蔑した声で指摘していた。
担任を好きになれないし、英語の授業も楽しくはない。
小学校の先生と予習復習をすると約束したが、毎日6時間授業を受けると、特に頭が疲れた感じで、家に帰って宿題をするだけで精一杯だった。
6月に国数理社英の中間テストがあり、初日に英語のテストがあった。
担任の作った問題の中に、ミカンの絵の下にIs this a apple? という文章を見つけた時、思わずニコッとする。
yesかnoの答えを書く問題だ。
手を上げて「問題にミスがあります。a apple は間違っています。」とテスト担当の教師に伝えた。
すると、そのことが各教室に放送された。
軽蔑された友達の仕返しをしたようで、気分がよくなる。
数日後、テストの答案用紙がみんなに返された時、担任の機嫌が悪い。
「この組は学年で平均点が最下位になった。僕ははずかしい。僕の立場を考えて、もっと良い点を取ってくれないと困る。僕が恥をかかないように頑張ってくれ。」と担任。
できるはずの者の点がもっとよかったら、他のクラスに負けなかったのに、と担任は何度か愚痴を言った。
聖君は、入学前の実力テストの点がトップグループでクラスで1番だったのに、彼の中間テストの点が低かったらしい。
担任が恥をかかないために、みんなに勉強を強いているようだし、聖君のことを悪く言っているようで気分が悪い。
私は、漢字の間違いや計算ミスがありさほどよくなかったけれど、英語の点がよかったので、合計点でクラスで上位だった。
「テスト問題のミスを、よく見つけてくれた。」と、担任が、予想外に笑顔で私に言った。
それを聞いて、仕返しにならなかったことに気づき、がっかり。
その後の保護者懇談会の時、「お宅の娘さんは、知能テストが中の下なのに、中間テストが上出来でした。よほど勉強をしているのでしょう。感心です。」と担任が母に話したらしい。
母は気分悪そうに帰ってきて、「たった1度の知能テストで、何が分かるのかしらねえ。」と言った。
「病気になるほど勉強することはないんよ。一番になる必要はないんよ。」と母は、今まで通り勉強より、健康を気にかけているようだ。
美術の授業も好きになれなかった。
美術担当の教師は、「僕は展覧会で入選した。」などと、自慢話が多いし長い。
今年の1年生の中には、小学校の時「もっとたくさん入選した人がいるわ。」と言いたかったが、黙っていた。
教師の自慢話は楽しくもなく、作品を描いたり作る気になれず、授業時間内に作品は仕上がらない。
家に持って帰ってまでやりたくなかったので、半分位作品を仕上げず提出もしなかった。
聖君も美術の授業が嫌いなようで、作品を仕上げず提出しなかったので、同じ気持ちだと内心嬉しくなった。
ホームルームの時間「勉強の計画表をノートに書いて、毎週提出するように。」と担任。
学年でトップの組になるための対策らしいが、担任が恥をかかないためにやらされる気がして、やろうという気にならない。
しかたなく、毎日国数英の復習予習30分間ずつの計画を立てた。
実行したしないに関係なく◎を付けて、みんなと同じように毎週計画表のノートを提出した。
「中間テストよく頑張りました。」とか、「期末テストも頑張りましょう。」と書いて、五重丸の付いたノートを担任が返す。
それを見て、嬉しくもない。
そんな時、体育の教師が運動クラブに入ることを勧め、誘ってくれた。
他の活発な女子や男子も誘われていたようで、近所の親しい瞳ちゃん達と一緒に行ってみた。
「初めは陸上部に入って、基礎体力を付けるための運動をしよう。」と体育の教師が話す。
準備体操の後、走ったり跳んだりボール投げをしたりで、結構楽しい。
その時、隣の小学校からきた人達とも親しくなった。
クラブ活動が終わって、瞳ちゃん達ときれいな夕焼けを見ながら家路に着く。
「運動の後は気分爽快でいいね!」という言葉が自然にでる。
中学に通い始めて一番気分の良いことだったので、運動クラブを続けることにした。
1学期末テストが始まった。
保健体育、美術、音楽、職業の科目が加わって9科目の筆記試験だ。
美術の教科書の復習もやる気がしなかったので、手をつけなかった。
テストの問題の半分位の答えは書けたので、50点だった。
終業式の日に手渡された通知表を見ると、美術の評価は5段階で2点だ。
私は「美術の点2点だわー。」とつい口にした。
「俺も2点だ。」と聖君が言ったので、中学に入って初めて話した気がする。
思わず顔を見てほほえむと、彼は苦笑いしたように見えた。
私の両親は、通知表の点のことなど全く気にしていないので助かる。
中学に入学してから教師のことで嫌なことがあったが、時々小学校の絵の教室に行って、友達同士で嫌なことをおしゃべりして気分が晴れた。
また、放課後の運動も気分爽快になり、どうにか無事1学期を過ごせた。
陸上部で基礎運動をしたから、夏休みから好きな運動部に移るそうだ。
瞳ちゃん達とバレーボール部に入部することにしたので、楽しみになった。

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