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都わすれの「「ベガルタ応援日記」

訃報 

2010年04月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


朝起きてPCを開いたら「井上ひさしさん死去」のニュースにビックリ〜!


井上ひさしさんは山形の生まれながら、中学・高校は仙台で・・・名門仙台一高の大先輩でした。


今は男女共学の学校が多いが私は、仙台一高にの通信制に昭和39年入学で42年に卒業しているし、たまにしか行かないが「仙台文学館」の館長も努められた。


「藤井黎氏」に続いて仙台に大きく関わった方の訃報でした。


あらためてご冥福をお祈りいたします  合掌


また朝のニュースでは先日お亡くなりになった、ジャイアンツの「木村拓也コーチ」の告別式の様子が流れていました。


お子さんが10歳をかしらに3人と言うことで、余りに早い死が悲しみを誘い涙にくれていました。


思い返せば夫は約10歳若い28歳での他界で、息子が2歳と10ヶ月で娘はまだ一歳の誕生日の10日前でした・・!


何度か娘には「お父さんのことは何も分からない」と、泣かれたこともありましたが・・・横道に逸れることなく育ってくれて、8日は初孫に入学式でした。


本当に人の命など分からないもので、そんな夫の母親は91歳で痴呆も全くなく元気ですから嬉しいことです。


私が勤めを辞める2年位でしたか、会社で購読の毎日新聞に肝臓がんに侵されて「もうすぐ定年」と言う佐藤健記者さんの、闘病記が連載されて毎日記事をスクラップしていました。


肝臓がんと言われた時は確か2001年8月で、その後食道やリンパに転移して2002年の12月28日にお亡くなりになったのでしたが、自分で筆記が出来なくなると後輩の記者さんに「口述筆記」をしてもらい、のちに連載のコラムと同じ「生きる者の記録」が出版されていました。


秋田の玉川温泉の岩盤浴に行かれたりで、先日この岩盤浴に行かれるというブロカーさんの記事を読み、ちょっと色あせた本を引っ張り出して読み返しているところでした。


死は生きるものが「避けては通れない」わけで、いつの日か私にもと言うことは分かっていますが、最近は「ガン」でお亡くなりの方も本当に多いのに驚きます。


本を読み返しながら「余命」が知らされた方が良いような、全く知らずが良いのか・・・判断がつかないものです。


木村拓也さんの奥様にはこれから色々ご苦労もあるでしょうが、きっとご主人は見守ってくれていると思いますので、頑張って欲しいと思います。


私は「おまけの人生」と思いますが、義母の歳まで生きるにはまだ・・25年もあるんですよね・・!












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