メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

ZRX1200S城

備中境目七城を歩く 3 備陽史探訪の会 

2014年03月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

  葦守八幡(あしもりはちまん)神社 鳥居
花崗岩製で柱の下部に控柱を取り付けた両部鳥居です。


 
康安元年(1361年)と刻まれた門前の石鳥居は、銘のあるものとしては日本最古であり、国の重要文化財に指定されています。
何気ない場所に凄い物があります。

          
 冠山城



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
比高20mほどの小山です
 
 
 
 
 
 
 
 
 
守将・林三郎右衛門以下360人が籠城し
寄手・杉原七郎左衛門・宇喜多忠家と激戦となりましたが、城内の失火(忍者が放火説も有り)を期に
加藤清正が一番乗りし、さしもの林三郎右衛門も
自決したと云う。

      冠山合戦戦死将兵慰霊碑(人大杉)

         本丸を取り巻く帯郭

 

    線路向こうの小山は加藤清正の陣

このあたりが水攻めの水取り入れ口


 桜並木の足守川 桜が咲く頃訪れてみたいです。

            日幡城
 中央の小山は日幡城です。

毛利氏と羽柴氏が対峙した高松の役では毛利元就の娘婿である上原元祐が羽柴方に寝返り城主日幡六郎兵衛にも寝返りを勧めた 六郎兵衛はそれを断り元祐を討つべく本丸に帰った所を既に元祐に内通していた弟と元祐の兵に槍で突かれて絶命した。

現在は足守川の土手の道沿いにある石材屋所に石碑が2つありその裏の小山が城址となっています。

    石垣もちょっとあります。

本丸上は竹やぶです。登城できるのは今くらいまででしょう。もう少しすると蜘蛛の巣&蚊で登城は
難しいでしょう。
どこを撮ってもなんのこっちゃ分かりません。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
       西側に流れる用水路は本丸と出丸の間の堀切と云われます。

 
宮地山城は時間の都合で行きませんでした。
もっとも藪化して登城は無理だそうです。
 
庭瀬・足守はまたすぐ行きたいと思います。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR









掲載されている画像

    もっと見る

上部へ