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備中境目七城を歩く 備陽史探訪の会 

2014年03月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

  備中境目七城を歩く
備中高松城を要とした松島城、庭瀬城、日幡城 
加茂城 冠山城 宮路山城の七城が対秀吉軍の
防衛ラインとなりました。

 
          松島城
現在は川崎医療短期大学の校舎が建っています。

 
          庭瀬城

  数百メートルしか離れていない撫川城とはセットで七城の
一つに数えられています。

撫川(なつかわ)城

井上有景が800余人を率い守備する。
この際、位置的に孤立した場所にあったため、吉川元春、小早川隆景に早々に撤退するように下命されていたが、有景はその命令に背き、羽柴軍との間で激戦が交わされた。         
その際に井上有景の軍勢は羽柴軍に敗れ 宇喜多氏の領有となり しばらくの間当城は廃城となる。                  


広い本丸

野面積みの石垣。七城の中では一番城らしい。

加茂城

高松城から2km程南にあります。
西の丸には上山元忠、東の丸には生石中務少輔が在城していた。このうち、生石氏は秀吉の甘言に応じ宇喜多勢を城中に引き入れ乗っ取りを計るが廣重の抵抗にあい失敗する。
 毛利氏と羽柴氏が和睦したのちこの城は破却されたという。

本丸?の位置に郭があったが本丸かは不明
前の山には羽柴秀長軍が陣を敷いた。

 
続く

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