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偉大な日本のピラミッド箸墓古墳 

2014年02月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



纏向遺跡(まきむくいせき)是非とも行きたく、散策しました

桜井市にあり、弥生時代の遺跡で、邪馬台国とする意見有力です
箸墓古墳見て、感激し「卑弥呼の墓」「崇神天皇」の墓と確信しました




JR巻向駅(無人駅)



最近発掘された大型建物



纒向石塚古墳







箸墓古墳

纏向遺跡遺跡概要
JR巻向駅を中心に面積は3km²です
邪馬台国の遺跡として注目を浴び、最近「卑弥呼の居館」の隣に、大型建物跡が見つかりました

纒向石塚古墳概要
被葬者 不明
纏向遺跡内の最古の古墳で、3世紀初めに築造された前方後円墳成立期の古墳です
規模は全長96M、後円部の主丘部の東西60M、南北45Mです

箸墓古墳概要
築造年代 3世紀中頃
奈良時代に、市が発達し「大市」と呼ばれ、箸墓古墳のことを、宮内庁治定では「大市墓」としています
盟主的古墳で、古墳の中でも最古級と考えられ「卑弥呼」の墓とする説が有力です
宮内庁は、第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓として管理しています

箸墓古墳の規模
墳長およそ280M、高さ約30Mですが、本来は一回り大きかったものと思われます
四段築成で、高さ4Mの土壇、特殊器台が置かれていたと思われます
「卑弥呼の墓」「台与の墓」「崇神天皇の墓」とも言われています

『日本書紀』での欠史8代とは
神武天皇は、10代目崇神天皇と同一人物との説が有力です
「古事記」「日本書紀」での二代から九代までの天皇のその実在に疑問が有ります

何故このような複雑な事をたのか?説?
中国の思想に合致する為、神武の即位年代をBC660年にする必要が有りました
『欠史八代』を創作し、神武=崇神を二つに分けてその間に挿入しました

何故このような複雑な事をたのか?説?
2ー9代の天皇は、祖先神として祀る必要が有り、初代(崇神)の前に挿入しました
神武(崇神)東征以前に大和盆地にあった葛城王朝の王達と思われます
人民を統治する為には、旧王朝の力も利用するのが必要です(現地葛城王朝の8人の王を挿入)
*トヨの国の王朝を祖先神として、大和の現地王朝を祖先(2〜8代)として祀りました
*出雲の現地王朝は 直接関係無いため、祖先神の大神殿を建設して祭りました

崇神王朝の成立の時期は3世紀末頃です
山陰中部地方の出雲王国も、『国譲り』で大和王権に組み込まれたものと想定されます
従来から北九州に存続していた倭国連合とは、共存関係にあったと思われます

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