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昭和2年生まれの航海日誌

小者が見ていた拿捕 

2010年09月01日 外部ブログ記事
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   [ラズエズノイ号」は小樽港の掘割に長年月に
   わたり係留されていたが、終末は廃船処理をされた。

    敗戦後、日本が拿捕した船舶はこれが一隻で
   あった。
    大戦中は、米国、英国、オランダ,スエ―デン、
   フランス等から大型船舶だけでも10数隻を拿捕し
   日本側が運航している。
    しかし、これは戦時国際法にもとずく行為であった。

    ここで、あの李承晩ライン設定海域の韓国の不法
    拿捕を想い出さずにはおれない。

    国際法上容認できない海域を独断で設定し、
   日本人3929名と
   漁船  328隻を拿捕している。
   これに関連した死傷者は何と44名に達している。

    漁船所有者にとってみれば、工場と蔵をなくし、
   その上、働き手の夫、兄弟を失う。 家族が路頭に
   迷ってしまう他に手があるか。


    特に、九州、山陰地方の漁業,貨物運航者は膨大な
   被害を受けざるをえなかった。

    拿捕した日本船をハングルで示し、日本船名が
    残されたままの状態で、ずうずうしく日本貿易に
    就航させていた。低俗なる神経の持ち主よ。
  

    「竹島が日本領土なら、日本は韓国のものだ」
     本気だ.奴らは。
     北方4島も絡んでいるのは明白では
    あいませんか。その時の国家権力。




     ゛慰安婦”補償が口癖だ。 払おうでわないか。
    不法拿捕漁船の補償が解決されれば。とくに、
      九州、山陰の方々、当時のことは俺は
     忘れてはいないよ。
    
 

    
 

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