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ZRX1200S城

〜津山のええとこ見てみんちゃい〜モニターツアーに参加  津山城編 

2013年09月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

〜津山のええとこ見てみんちゃい〜
モニターツアーに参加   津山城編
            これに応募し当選しました。
         AM5時から車で津山駅へGO
 
     バス代も、津山ホルモンうどん代も、入場料も、ガイド料もすべて無料!...

 
   観光センター横から津山城の案内スタート
  モニターは男女半々でした。
  顔出しNGの人もいるので画像加工いれてます。
  ブログ友のT氏、Y氏もモニターでした。
  城専門ガイドと津山市地域雇用創造協議会の
   嬢二人が同行

   圧巻の三の丸石垣

     ガイド氏の説明にも熱が入ります。

 
表門付近のずんぐりした「森忠政公像」。
朽ちて首が埋まった木造を元に造ったのでこんなにずんぐりしているそうです。
織田信長お気に入りの小姓本能寺の変の時に戦死した
森蘭丸の弟です。
 
元和2年(1616)13年を経て完成
元禄10年(1697)四代長成に嗣子が無く領国は没収される


しかしその後森家は
忠臣蔵事件で断絶した浅野氏のあとを継ぎ、赤穂藩主として明治時代まで存続しました。



元禄11年(1698)徳川一門で結城秀康のひ孫の松平宣富(のぶとみ)が10万石で入国しました。


                     冠木門
   これだけ大きな城なのに質素な冠木門?
 
冠木門の桝形部分も、武家諸法度の公布により本来造るはずであった櫓門の建造を中止し結果として未完成の「桝形」として工事を終了したものと考えられます。


  三の丸の石垣の端 


    対面の石垣には番所跡の屋根の痕跡があります
   ←のへの字

      表中門                          本来はここに大きな門が挟まっていて、石垣の上には塀がありました。                    
これだけ広い石段は他に例がないでしょう。       正面の石垣上は現在藤棚になっていますが
本来は長櫓がありました・        

現在唯一の建築物の復刻備中櫓
美作なのに備中?なのは
備中櫓の備中は人名だからだそうです。

美しい堂々とした櫓です。
扇の勾配を持つ石垣(どこもそうですが)

 


本来の石段はガイドさんが立っている所の間隔でした。 土で少し上がりやすくしていたそうです。        簡単に敵が上がらない様にするためです。
石垣の幅も敵がリズムよく一気に駆け上がら無いよう
微妙に長短を付けています。                     

 
場内で一番大きい石
二つに割れてしまっています。

本丸石垣


天守台

天守台横の七番門
二ノ丸と腰曲輪の石垣は約3mの落差があります。
二ノ丸から天守への最短ルートで通常は橋子(はしご)
が付けられ、有事には階段を外し敵の侵入を防いだと考えられます                         


 

天守入り口



                     天守台穴蔵

             天守台穴蔵のハート♡の石 
        触ると良縁が・・       

     天守からの展望

 

                      古写真

模型



天守復興の話も有るそうですが、金が掛かり過ぎ
 難しいでしょうね。                                 
長櫓の外観位なら現実的だと思います。                
天守台から備中櫓

高い石垣を履く天守曲輪と備中櫓
非常に美しい勾配です。


忠実に再建された備中櫓

ガイド氏の説明は最高でした。

城を後にします。


   まだまだ城の半分も廻っていませんが、ガイド氏の熱心な説明に感服しました。
津山市地域雇用創造協議会の嬢二人の献身的な
サポートも良かったです。
 
城好きなら一日いても足りない城です。
今回、4度目の登城ですがまた来ると思います。
 

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