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冠八幡宮 

2013年09月05日 外部ブログ記事
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           冠天満宮
由緒
 
冠天満宮には、菅原道真公(845〜903年)が学問の神様として祀られており、 多くの人々に崇拝されています。
 
道真公は学者の家系で幼少より学問に秀で長じて学徳高く文章(もんじょう)博士となられ、 宇多天皇の御信任篤く右大臣に任じられましたが藤原氏のざん言により太宰権帥に左遷されました。
 
筑紫へ下向の際、風波をさけて今の光市の戸仲の浦に立ち寄られた時に、 百姓の神太夫(じんだゆう)が手厚くもてなしたお礼として冠を脱いで神太夫に与えられました。
 その後、神太夫も亡くなり30数年を経て承平4年(934年)10月7日の夜より三夜にわたって 神太夫の長男の太郎次に夢中のご託宣があり、
「東の山の梅の古木に今宵のうちに花を開かしめん、その地に社を建て冠を神体として祀るべし」

太郎次隣家の人々と語らい尋ね見れば果たして梅花咲き満ちて春のようでありました。
この瑞祥(ずいしょう)を見ていよいよ神勅(しんちょく)なることを思い、
承平5年(935年)4月23日神祠を営み、梅花を見た
10月10日を祭日と定め氏神として崇め奉りました。
神社の後方の冠石はこの時の冠を収め奉ったところと伝えられています。   冠天満宮ホームページより
 
  石段

暑かった〜

    暑すぎて靄ってます

石段上には寛政の狛犬がいます 吽形

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
             寛政九年(1797)奉納

                              阿形

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
吽 正面               阿 背面


 
 
                      

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
             拝殿
 
         拝殿前には梅を干していました 


拝殿前の狛犬  明治

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
神馬と牛

本殿


              装飾も見事



                     冠石

延喜元年(901)菅原道真公が筑紫の配所へ海路下向の折、風雨をさけて戸中の浦へ上陸された。
この時村の神太夫親子が我が家へ伴い奉り一両日お泊りの間、心からお慰めした。
官公のお悦びはひとしおで出船にあたり別れを惜しまれ、形見にと召されたる御冠を脱ぎ与えられた。
その後は夢のお告げによって承瓶年(1935)祠を建てて、官公をお祈りした。
この冠石は、その冠を納め奉った所と伝えられる。
                      冠天満宮社務所

本殿 拝殿

拝殿前から境内


 

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