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ラストプリンス『方子』が住んでいた昌徳宮 

2013年08月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



地下鉄でソウル市内を訪れました

昌徳宮に、日本から嫁入りした『李方子』さんが1988年迄住んでいたのには驚きました
物価は日本と同じですが、交通機関の料金は、日本の三分の一です
日本語の案内板、切符購入機も有り、容易に移動できます


昌徳宮世界遺産の看板

昌徳宮仁政殿

昌徳宮玉座



昌徳宮

昌徳宮に隣接した『現代』の建築会社

李成桂(引用)

李朝鮮旗(引用)

昌徳宮 (チャンドックン)の概要
正宮である景福宮の離宮として創建されれました
大韓帝国最後の皇太子李垠の妃、李方子もこの宮殿で暮らしていました
正門にあたる敦化門は、大韓民国最古の門です
宮殿の北には、李朝時代の王朝庭園、あずまや、人工池などがあります

昌徳宮歴史
1405年に、景福宮の離宮として創建され、李氏朝鮮成宗が正宮として使用していました
文禄の役の治安が乱れで、朝鮮の民衆の略奪と放火の対象となり、景福宮は焼失しました
1910年の日韓併合後も、李王となった純宗の住まいでした
昌徳宮の建造物は、ユネスコの世界遺産に登録されました

李氏朝鮮
高麗の次の王朝で、1392年から1910年まで続いた、朝鮮半島の最後の王朝です
1392年に、李成桂太祖クーデターで、高麗王に即位し始まりました
李成桂は、中国の明王朝から朝鮮国王として認められ、その後も中国王朝の属国になりました
日清戦争後、日本の勝利で、中国の属国から離れ、李氏朝鮮は、国号を大韓帝国と改めました
大韓帝国の国家主権は、日本の強い影響を受ける日本の属国と成りました
1910年日本に併合され、国政から李氏朝鮮離れました

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