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東條英機さん 

2013年07月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



東條英機さんに興味持ち散策しました

東條さんは、弁がたち、頭も良く、指導力も卓越していた人と思います
『頑固』な気性で、世渡りは余り上手でなかったと思います
今まで知りませんでしたが、東條英機さんの遺書には感服しました




東條英機さん
若い頃の東條英機さん
東條英機さんは,東京市麹町で生まれました
陸軍士官学校を2番で卒業しています

関東軍時代
二・二六事件が勃発し、混乱を収束させ陸軍中将に昇進しました
支那事変が勃発すると、東條さんの兵団長の成功はめざましいものでした

陸軍大臣
近衛内閣の陸軍大臣を務めました
近衛首相は「東條大将が対米開戦の時期」と判断したので、開戦したと懐古しています

首相就任
近衛の後任首相は、対米協調派の皇族軍人東久邇宮稔彦を推す声が強かったです
木戸大臣が、天皇への東條さん推挙し東條さん本人が一番驚いたといわれています

太平洋戦争(大東亜戦争)
開戦(日本は、イギリスとアメリカに宣戦布告)の時の首相です
真珠湾攻撃に関して、東條は、事前に知りませんでした

戦局の行き詰まり
ミッドウェイ海戦の敗北により、戦争は行き詰まり状況に成りました
ガ島争奪作戦は失敗し、ガ島撤退しました
ニューギニア方面・南方方面の日本軍は各地で補給不足に陥りました
東條内閣倒閣運動が起きました

三職の兼任
トラック島が占領され、太平洋戦域最大の日本海軍基地を無力化してしました
東條首相は、行政権の責任者・陸軍大臣・参謀総長の三職を兼任しました

退陣
マリアナ沖海戦の大敗・連合艦隊の航空戦力の壊滅で、東條内閣倒閣運動は急速に激化しました
参謀本部も「作戦的に大勢挽回の目途なし」との絶望的予想をしました
東條さんは、昭和天皇の支持は得られませんでした

東條暗殺計画
戦局が困難を極め、複数の東條英機暗殺が計画されました

東條の自殺未遂
東條は、自らの胸を撃って拳銃自殺を図りましたが、失敗しました

東京裁判
東條さんは、自己弁護は行わず、戦争は自衛戦争で有る点を貫きました
東條さんに、天皇免訴のためのスケープゴートの要請が有り、要請を受け入れました
他の被告が、責任のなすり合いする中で、東條さんは一切の自己弁護をしませんでした

遺骨
雑司ヶ谷霊園には、東條英機さんの墓が有ります
絞首刑後、遺骨は粉砕され遺灰と共に航空機によって太平洋に投棄されました

A級戦犯の中で、7人に死刑判決が下りました
東条英機、土肥原賢二、松井石根、武藤章、板垣征四郎、広田弘毅、木村兵太郎です
東条英機さんの遺書(見る価値は充分有ります)
 
 * http://ihasa.seesaa.net/article/5895599.html(引用)

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