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昭和2年生まれの航海日誌

遠かった農上がり (4) 

2013年06月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


 食事を終えると、ほとんど休むことなく外に出た。

 田舎道に差し掛かったところで、空になったリヤカーに母と、
弟を交互に乗せ、自分は車力となった。


 在所の近くになると、どうしても我が家の田畑に目が留まる。
 世間並の収穫はあっただろうかと。

 父が、手にした菜種は、実が成熟しており、真っ黒な粒が
こぼれた。
  
 「一雨あったら、菜種から懸かろう」と言う。
 いよいよ麦秋、そして田植えかと思った。
蛍が我が夏を優雅に飛び交わしている。

 麦秋で一番嫌なのは麦の脱穀であった。
 それは、脱穀機で舞上げられたい麦穂の殻が汗ばんだ、首
背中に入り込み、むずかゆく、イライラさせられるからである。

 収穫さえ終われば、田植えは、子供の天国だった。
 田植えに雇った隣村の娘さんや、若嫁さんに間食を運ぶくら
いが手伝いだった。

 この日傭代は自分の小遣いにできることもあり、家での食事
よりはいいものがたべられる。そんなところに人気がある。
 そこには、また来年の契約にも配慮された面もあった。。

 農上がりも間近になっている。
 田植えがのどかな風景に映り変わってきた。
 
  
 それでも、嬉しい場面ばかりではなかった。
 ある日,間食を沖まで届けにいったときのことである。

 一人の若い主婦が、小川に向け嘔吐している。体つきから
見て妊婦であることがわかった。

 腰を曲げ、腹を圧迫していたのでは苦しい。これでは
昼食も栄養として摂れておらず,間食もできないはずだ。

 帰り道、間食もできず、日暮れまで皆と一緒に働かねば
ならない。気の毒に思えてしようがなかった。

 出産は今も昔も大変なことには変わりがない。
 
 「出産率1、4%回復」が公表された。
 施策の結果であるとは信じられるものではない。

 人も草も木も最適の環境におかれたとき、生きていく
のが本当のようだ。
 人口増加の施策の基盤はそのあたりにおいてほしいなあ。
 

 

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