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昭和2年生まれの航海日誌
木綿の通学服
2013年05月17日
テーマ:テーマ無し
4,5歳の頃には和服を着ていた記憶がある。
小学校入学からは、もう誰もが洋服だった。
ラシャ、サージの布地のものが多かった。
と、言ったところで裕福な家庭ではない。なんのことはない
兄達の”お下がり”ものである。
「いい服だなあ」
父母の言葉はまやかしに聞こえ、なんとしても皆と同じ
木綿の服が着たかった。
昭和12年支那事変が勃発したが、その年に旧制中学校に
入学した兄達の時は、
学帽、制服、ランドセル、剣道具、靴などは、純毛、純綿、革で
作られていた。
昭和14年になると、綿、革製品が急に姿を消し始っていた。
綿製品に変わり、ステーブルファイバーの名を小学生でも知る
ようになった。
自分達が中学に入学したときは、もう、木綿の制服はなかった。
桑の皮で編んだようなドンゴロスを着たものである。
転校してからは、純毛の海軍服にジャンバーも木綿で、これには
助かった。空腹だけが戦いであった。
グランドゴルフにいいズボンはないものか、と考えた。
ゴルフズボンがあるではないか、それは少し仰々しい。子供の時と
同じである、皆と同じ服を着けたい。
木綿か合成の布地のものをATCに探しにいた。
格好のいいものを2着求めてかえった。
家に置いたとき、なんだか長いあいだの願望が叶えられたかの
ように思われた。周囲の豊かな思いやりに支えられていることも。
明日のグランドゴルフはこの服に決めた。
きっと、”ホール イン、ワン”を達成するぞ!
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