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書の歴史を臨書する

臨書  米フツ書 蜀素帖(三) 

2013年05月08日 外部ブログ記事
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略伝(つづき)
地方の割合低い官吏を転任するが南方が多く、米芾は江南の山水を愛した。
彼は非常に書画がうまかった上に鑑識にすぐれていたため、
崇寧3年(1104年)の書画学(宮廷美術学校)設立の際には書画学博士となった。
そして、徽宗の側近に仕えて書画の鑑定にあたり、のちに礼部員外郎[7]に抜擢された(この官職名がかつて南宮舎人といったので米南宮と呼称された)。
徽宗の厖大な書画コレクションを自由に利用できたことにより、古典を徹底的に組織的に研究した。
彼は名跡を臨模し、鑑定をし、収集をし、そして鑑賞した書画についての多くの記述を残した。
その著録はきわめて科学的であり、今日でも正確で信頼のおけるものである。
 

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