メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

慶喜

新ローマ法王に思う(写教) 

2013年03月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し




写経(写文)
仏教でも経典を写しその意とする点を理解でいます
読んでいても、その部門を詳しく知らないと理解できない文章多々あります
自分に理解出来にくい文章を理解するには、文章を写すと、読んで流すより、数倍理解できます


フランシスコ新ローマ法王(引用)

ベネディクト前ローマ法王(引用)

今回ローマ法王交替に関して写経(写文)しました
前ローマ法王ベネディクト16世の引退宣言に伴って、バチカンの枢機卿たちは、フランシスコ新法王を選出しました。
前法王はラッツィンガーという名前で知られた有名な神学者でしたが、バチカンという組織の長として性格が向いてませんでした
法王という立場は、死んで初めて苦渋に満ちた現世の十字架から降りられるのであって、自ら退位するのは違法だという枢機卿の意見も有ります。
私は前法王が、自分の力が人々に与えるマイナスの影響を絶とうとして引退を決意したのなら、その判断を正しいと思っています。
人間の正義は、神と人との間の、個人的な一種の「無言の会話」で決定されます。
正義は神と人との間の折り目正しい関係を指します。しかし現実の生活の中では、神と人との関係は乱れがちになります。
なぜなら人は生来弱いもので、始終間違えるからです。それを常に正していくのが正義だという判断が私は好きだ。
だからある人と神との間にいかなる会話があったか、外部の人間は推測するすべもないし、’またすべきでもありません。
正義は、裁判が常に厳正に行われることでもなく、正義は人間社会の横の関係において示されるものではなく、神と人との間の、縦の関係において
こそ全うされるものだということです
現在のカトリック教会には、問題が山積していますが、問題が山積していなかった時代はなく「人の世」とは、そういうものです。
私は小学校の時に、「宗教を、その人間の部分で判断してはならない」と教えられた。すばらしい教育で、どんな宗教団体にも、黒い羊は出るものです。
新法王は、移民の家庭に生まれ、後にイエズス会という世界をリードするような学僧たちを育てる修道会に入会しました。
イエズス会は、日本では、上智大経営してます。又世界のあらゆる僻地まで危険を冒し神父を送り込み、どんな田舎の村ででも優秀な少年を見つけて教育してます、私はひそかにそれを「イエズス会の一本釣り」と言っています。
見いだされた、貧家の賢い少年たちは、カトリの神父になることを望まれはしましたが、強制はされなく、それぞれでよい父になって、その土地に働いてくれれば、イエズス会育目的は達成されるからです。
英語で言うと「イエズス会」は「ジェスイット」というのだが、この単語には後に「詭弁家」とか「危険な人物」とかいう意味まで付加されていますが、それは学僧たちが、こぞって非凡な秀才だったからです。
新法王は、栄耀栄華を捨てて乞食坊主に徹したフランシスコ的生き方を希求し、「貧しい人の為の教会」を提唱しました。
新法王が、「ジェスイット」的な複雑さと叡智を兼ね備えていれば、この困難立の時代に、教会はまさに得難い牧者を得たといえます。

曽根綾子(引用)
                                               (その あやこ)

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ