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雑感日記
戦後の食糧難の真っ只中で育った
2010年08月01日
テーマ:テーマ無し
あったとしたら、昭和20年敗戦の年に中学に入学したが、学校にはほとんどいかずに、家のすぐ裏の山で、学徒動員で松根油をとるために毎日のように松の根を掘ったぐらいのことである。ただ、内地の空襲のニュースなどは入っていて、この戦は負け戦だとは何となく感じていた。食糧事情もよかったし、疎開などは何もなかったのである。皮肉なことに、その年朝鮮は豊作で米は一斗が100円だった。★日本に引き揚げてきて、一番びっくりしたのが食糧難であった。米もたばこもみんな配給で、いわゆるヤミ市場はあったが、米は一升が100円、朝鮮の10倍もしたのでよく覚えている。絶対量が不足していて、買いたくても米がなく、田舎の農家に買い出しに行くというような状況であった。米が不足していたので、麦を混ぜるぐらいはまだましな方で、芋やらトウモロコシを入れて米を炊いていた。『ご飯の量を増やす』ことが目的で、混ぜると健康にいいとか、それがおいしいなどと言う発想などは全然なくて、ただひとえに量を増やすことが目的だったのである。大体、どこの家も米の飯などは食えなかった時代である。終戦の年が昭和20年だが、翌年からの中学校3年間はもっとも食い盛りであったのに、食糧難で腹いっぱい飯を食った経験などないのである。高校1年生の夏、野球部の夏の大会前の合宿で、コメの飯が腹いっぱい食えて、それが飯を一杯食った最初であったように思っている。高校2年の時、福井県の武生に遠征した時に、お土産に米一升づつ頂いて喜んで持って帰ったぐらいだから、都会の食糧難は、朝鮮戦争が始まった昭和25年ころまで続いたのだろう。朝鮮戦争で一気に経済が回復し、日本の復興が始まりだしたのである。★そんな状況の中で育ち盛りを過ごしたおかげで、身についたのは、好き嫌いが、全然ないことである。口に入るもので腹の足しになるものはなんでも食った時代で、好き嫌いなど贅沢なことは言っておられなかったのである。それと早飯である。早く食わぬと人に食われてしまうので、どうしても早食いになっていた。そのころは、まだ明石の上の丸に土地だけは何千坪も残っていて、いもを植えたりトウモロコシなどはいっぱい植えていた。元々畑などではないので、土地は痩せていたがサツマイモぐらいは植えたら育った。幾らかでも、土地を肥やすために、拾ってきたのが馬糞である。自転車の荷台に一斗缶を積んで、明石市内を走ったら、馬糞はすぐいっぱいになるほど拾えたのである。いまどき、想像もつかないだろうが、それくらい馬車が道を通っていた時代なのである。農業のまねごとみたいなものだったが、いくらでも耕せる土地はあったが、とても全部畑にすることなどは、体力的に無理でその一部を畑にしていた。芋も育ったが、トウモロコシもよく育った。ただ、育つだけで多分今の時代なら家畜の餌にする種類のもので、決して旨いものでもなかった。配給でも『なんば粉のパン』などもあったが、パサパサして今ならとても食えるようなものではなかった。そんなことで『トウモロコシ』の印象は、ごく最近まで非常に悪かったのだが、もう一度食いだしたのは札幌にいたとき北海道のトウモロコシに出会ってからである。★こんな食糧難の時代に育ったからか、私は『旨いものを食いたい』というか、贅沢な高価なものを食したいという美食の感覚はほとんどない。逆に、世間一般の普通の食いものは、どれも結構旨いと思っている。何処の料理がうまいとか、何処の鮓屋が旨いとか、世の中は美食の時代だが、そんなのは勝手に造られた伝説みたいなもので、実際にはそんなに違いはない。一流の鮓屋も回転ずしもホントはそんなに違いがないと思っている。反論があるかも知れぬが、私の正直な感想である。会社の現役時代も、今と違って交際費などいくらでも使える時代であったが、私はほとんど一流店とは縁がなかった。連れて言って貰ったことはあるので一流店と称する店の味を知らぬわけではないが、一流店のお高くとまった雰囲気はどうも性に合わなくて、そんなところに自ら進んで行く気にはどうしてもならなかったのである。こんな、ひとえに食いたいと思った時期を3年間ほどだが経験できたことは、今の人たちは逆立ちしても経験できないことで、貴重な経験だと思っている。]]>
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