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2013年01月17日 ナビトモブログ記事
テーマ:日記

早くも大震災から18年経過しました。
前日の神戸出張を変更して、17日朝に出発する予定であったが早朝に関東でも地震の揺れを感じすぐにテレビをつけた。
地震に関連する仕事をしていたため、震源地が関西なのに関東でもかなり揺れたので、大規模な地震であるとすぐに理解できた。
神戸市内に義父が住んでおり、親戚も関西に多く居住しており、勤務先の本社も市内にあったので大混乱でした。
義父に6時に電話をした結果、冷蔵庫は倒れているがとりあえず生命には影響がないとの事で一安心、その後、親戚数軒に連絡するも電話が通じない状態であった。
遠い親戚で1名犠牲になったり、義父とは2日程度連絡が取れない等色々な事がありました。
私も13年間神戸に住んでましたし、仕事先の関係や震災支援で、1週間後に西宮から徒歩で何度も現地に行きました。
住んでいた近くの市場が焼失したりや住んでいたアパートの残骸を見て、涙が出ました。
私は仕事柄、神戸に活断層があることは知ってましたが、東北や関東の方が危ないと思ってました。
地震対策用の仕組みを神戸市に提案したり、展示会で広報していたのに・・・・
地震の怖さを広報する際に、ライフラインという言葉を何度も説明していましたが、ほとんど理解してもらえなかったのが、一気に誰でも知っている言葉になりました、経験でしか理解できないのかな。
地震予知の学会も予知が出来なかった・・・未だに
このころよく言ってた言葉で「パンツのゴムがいつかは切れるがいつ切れるかは判らない、地震も一緒です」馬鹿な事を言ってましたが、反省すべきでした。



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