メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

石丸進一「鎮魂の碑」 

2012年12月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



水道橋方面から、東京ドームの外壁沿いに、地下鉄「後楽園」
駅に向かう途中に、『鎮魂の碑』というのがあります。

戦争に狩り出されて亡くなった野球選手の霊を慰めるために
建立されたものです。

名投手「沢村栄治」選手をはじめ69人の名前が刻まれて
います。

そして、その隣に「石丸進一」君の追悼碑があります。
「特攻隊員として戦死した名古屋軍(現中日ドラゴンズ)の
エース、石丸進一君」について、従兄弟の牛島秀彦氏が
裂帛の思いを込めて制作した映画『人間の翼―最後のキャッチボール』。

自主制作映画で、一般の劇場では上映されることのない
映画ですが、私は3回 観る機会があり、ビデオまで
買いました。

父親の借金を返すためにプロ野球界にはいり、兵役免除と
聞いて日大に入ったものの、学徒出陣で特攻隊員となります。

1945年4月25日に鹿屋への移動命令が下り、浅野文章少尉から
揮毫を求められ、「葉隠武士 敢闘精神 日本野球は」と
書いた所で、浅野少尉から「この期に及んでまだ野球か!!」と
叱責され、石丸進一は「おう!! 俺は野球じゃ、俺には野球しか
ないんじゃ!!」と怒鳴る様に言い残し、鹿屋に旅立ったのです。

太平洋に散華したのは、それから2週間後の5月11日でした。

野球一筋、球に命を懸けた青春が、戦争という不条理な運命に
消されていく、その無念の思いを込めたこの石丸進一の絶筆が、
なんと靖国神社の「遊就館」に展示されているとのこと。
なんということでしょう。

「遊就館」は 侵略戦争を正当化し、国のために散ることを
賛美するコンセプトで展示されています。石丸進一の魂は
ここで鎮まるのだろうか。

「戦争への道開き」を声高に叫ぶ人は、石丸進一君の映画
『人間の翼―最後のキャッチボール』をぜひ観てもらいたい
ものです。

終始無口だった父親が、戦後、飛行機の爆音を聞くと 家を
飛び出し、「進一が帰ってきた、進一、進一」と、喜び笑顔で、
空に向かって手を振る。それを妻が抱きかかえて家に引き戻そうと
する。あのラストシーン、もう思い出しただけで、涙が止まりま
せん。

戦争は、戦争に行かない人が始める。戦争をやりたい人だけが
行けばいい。ちなみに私は「戦争に行きたい」人です。なぜか。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ