メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

新春時代劇(1/2) 『白虎隊』に決まり 

2012年12月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



来年のNHK大河ドラマ「八重の桜」(新島襄の妻となった
山本八重子)とタイアップしたのでしょうか、1月2日放映の
テレビ東京系列の「新春ワイド時代劇」が『白虎隊』だそうです。

今までも、何回か取り上げられていますが、1986年に日本テレビで
放送された年末時代劇『白虎隊』は、堀内孝雄の『愛しき日々』の
大ヒットにつながったほどの秀作でした。それまでほとんど
知られていなかった会津藩士「井上丘隅」を中心に据えたことに、
会津通の私も目を見張る思いで観、しかも「森繁久彌」が演じ、
より重厚で感動的な作品となりました。尚、この時の「山本八重」役は
「田中好子」でした。「スーちゃん」でも かわいすぎて、
「女傑」の「八重」のイメージとはかけ離れていたのですが、
来年のNHK、「綾瀬はるか」では、さらに 心もとないですね。

2007年にテレビ朝日で放送された「白虎隊」は、サンザンでした。
そもそも脚本の「内館牧子」が、気に入りません。この頃から、
「極右」や「ネット右翼」が 巾をきかせるようになってきて、
それを後押しするかのような『白虎隊』の取り上げ方でした。

「白虎隊」は、明治、大正、昭和と“忠君愛国”の思想教育に
利用され、「特攻隊」で多くの若い命が失われたことを思うと、
私としては、「白虎隊」を美化することは不快です。

そもそも、「白虎隊」は、士中一番隊 49名、二番隊 42名、
寄合一番隊 106名、二番隊 67名、足軽隊 79名から成り、
合計343名もいたのです。そのうち、戸の口ケ原に出陣したのは、
士中一番隊二番隊の42名。飯盛山で自刃したのは 20名。
蘇生した「飯沼貞吉」の口述によれば、彼等は、山中を
逃げ迷って、本隊とはぐれたのであって、残り半数は、
きちんと城に戻っているのです。

自刃した19人が、あまりにも美化されたために、私の先祖も
含めて、生き残った者は「卑怯者」のそしりをおそれ、会津を離れ、
「白虎隊士」であったことを隠し、ひっそりと身を隠して
生きざるを得なかったのです。生き残った者にも“悲劇”が
あったことを、私は、いつか書き残したいと思っています。


さてさて、来春の『白虎隊』は、会津藩家老の「西郷頼母」を
中心に据えるようです。西軍の侵攻に、母、妻、娘たち、
さらに親戚の者まで、女子供21人が自決したことは、白虎隊
同様、「女の鑑(かがみ)」とされてきました。もう、そんな
捉え方は 時代錯誤です。それとも「自民党」の公約「憲法改正、
国軍の復活」を後押しするための企画なんでしょうか。

ラストは「西郷頼母」が一子「吉十郎」を連れて、籠城戦のさ中
会津から出奔するところで終わるようです。


なんてこった。この「吉十郎」は早世するため、「志田四郎」を
養子にします。この養子が「姿三四郎」のモデルとなった
「西郷四郎」です。

西郷頼母は、その後、養子の「四郎」とも疎遠になり、最後は、
会津の長屋で独り淋しく74歳の生涯を閉じました。その後半生の
方が、今、私は大変 感心を持っています。どうやら「西郷頼母」は
今日の「合気道」の元祖のようなのです。

西郷頼母は、会津藩に伝わる合気術の伝承者で、それを四郎に
伝授しようとしていたが、四郎は講道館で嘉納治五郎に認められ、
柔術の道に進んだことが疎遠になった理由かと思えます。
このことを、いつかマスコミで取り上げて欲しいのですがね。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ