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吉備穴の海の史跡めぐり 3 

2012年09月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

吉備穴の海の史跡めぐり3

由緒   
御祭神の吉備津彦命は第七代孝霊天皇の皇子で第十代崇神天皇の御代に四道将軍の一人として吉備の国に下されこの国を平定された。
      
その後、仁徳天皇が吉備地方に行幸になった時、吉備津神社を建立し命を祀った。
当社は、吉備津神社の摂末社七十二社の一社であり妹尾西磯の鎮守社として祀ったものである。
      
創建は定かではないが当社燈籠に「開闢(かいびゃく)神亀三年春三月」とあり、聖武天皇の御代約千三百年前にはこの地に社殿が建立されていたことがうかがえる。

また伝説によれば、吉備津彦命は汗入の沖で賊将梟帥(たける)をせいばいしたとき大風により船が転覆しそうになったが大亀に助けられた。
      
やがてその磯の前の三つの小島に住吉三神を祀り、汗入の浜に豊玉彦命・豊玉比売命を祀った。
      
その後,現在の地に社殿を建立し吉備津彦命を祀ったとされている。
現在でも、三つの小島の証として、境内には波に洗われた大岩・土中には多くの貝が現存する
           
両社宮と呼ばれ二つの社を一つの拝殿でつないでいます

狛犬 昭和二十六年奉納  凛々しい顔つきです。


 
 
 
 
 
 
亀と岩
 
   拝殿内で説明を聞く   女性の宮司さんでした

   本殿も二連

波に現れた大岩   ノミで割ろうとした跡が有ります。

   庭  このあたりには貝殻が散乱しています。

   池には亀がいます


 
盛隆寺
 
創立 慶長十年(1605)
開基 庭瀬領主 肥後守達安公
開祖 城国院日鳳上人

昔、この一帯はほとんどが真言宗の信徒でしたが、
戸川氏の勢威と開祖の徳化によって寺も檀家も改宗させ、
いわゆる「妹尾千軒皆法華」の基礎を築きました。
それ以来400余年たった現在でも妹尾六カ寺院の檀家です。

 
仁王門

手水 木鼻を蛇口にしています。
精巧な彫りの古そうな木鼻、象です。
宝暦十一年(1761)の年号が入っています。

 
 
 
 
本堂

宝塔

 
本堂 蟇股
親子の獅子らしいです。子が六匹もいます

 
向拝


本堂内 豪華です
御前様の説明を拝聴しました

見事な格子天井

植物&家紋

本堂裏の五輪塔
 
    
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
戸川達安の五輪塔

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
本堂 横から

 
鐘楼


 
妹尾陣屋跡
井戸跡があるだけです

 
戸川家家老の家

 
 

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