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吉備穴の海の史跡めぐり ?早島、妹尾の史跡を訪ねて? に参加 

2012年09月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

吉備穴の海の史跡めぐり 
?早島、妹尾の史跡を訪ねて?  に参加
 早島 不老のみち イラストマップ




戸川家記念館
宇喜田直家の重臣として戸川平右衛門秀安の跡を継いだ
逵安(みちやす)は、宇喜多秀家の代の家臣団の対立から
蟄居となり、徳川家康に預けられます。
逵安は関ケ原の戦いで家康の東軍に参加、石田三成の重臣島左近を討ち取るという手柄をあげ、庭瀬藩2万9200石の大名となりました。
その嫡子 正安は2代藩主となった際に、弟の安尤(ヤスモト)に3400石を分知します。
これが早島戸川家の始まりで、寛永五年(1628)のことでした。
 
本家の戸川家は後に四代で無嗣断絶となりますが、
早島戸川家は旗本として一三代、明治維新まで続きます。
 
 
陣屋の書物蔵を改造
戸川家に伝わる具足や馬印などが展示されています。

記念館内

 
戸川家 甲冑
伊豫札(いよざね)黒漆包革二枚胴具足         早島知行朱印状    


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                                                                                                                                                                                                                                                                                
 
 
 
 
 
 
 
 
伝 島左近兜忍緒
戸川家の祖戸川達安は関ヶ原合戦で敵将石田三成の重臣島左近を討ち取ったと伝えられる。この兜の忍緒はその時、島左近が身に着けていたものと言われ、由緒書きには血痕累々とある。

 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
            
 
早島公園
戦国時代には早島城があったとされ、今は公園となっています。

 


竹井将監 五輪塔
 
備中高松城攻めの前哨戦、足守の冠山の戦いに馳せ参じ、
秀吉軍を相手に善戦。
遂には加藤清正と一騎打ちの末に見事な最期を遂げました。
秀吉は清正に50両を与え、敵である将監を供養させたと云われます。

        専門家的には時代が???とのこと
 
    千光寺


  
     龍神社 

    狛犬は尾道石工の玉乗り  嘉永二年(1849)         
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
開墾記念碑

 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここからの徒歩が長かったです。
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 
このあたりから歩いてきました
      帰りはバスが迎えに来ました。
    夏の運動不足で体が鈍っていたので、正直しんどかったです。


これで午前中終わりです。 早島公民館で昼食。
公民館二階よりの展望? 
二階から展望できる程、周囲に建物がありません

つづく

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