メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

都わすれの「「ベガルタ応援日記」

大事な人 

2010年07月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


5月末頃から体調が「イマイチ」だった義母は、週2で行くたびに段々苦しそうな感じだった。


5月28日に行った時は「ちょっとヤバイかも・・?」って思ったから、29日は筋トレに行く予定を途中で変更して義母宅に向かった。


しかし義妹の車があり鍵が締まって、義母の姿がなかった 


前週の水曜日に開業医に行った時は、「岩沼の病院に・・」って言われたと言っていた・・!


実際「岩沼の病院に(名前は聞いてなかったが・・)」行こうかどうか迷ったが、仕方無しに帰宅してその後2回義弟に電話したが留守電だった 


その後「国立に・・・」で「私も行こうか・・?」って言ったが、また電話する・・で電話を待ったが連絡が来た時は夜の8時に近かった・・!


結果その日(29日)から義母は「国立医療センター」に、「検査入院」になって今日に至る 


元々長男だった夫を「婿養子」に出してくれた義母には、絶対に「足を向けて」など寝られないと思うし・・・私にとっては「特別な人」となった 


夫が28歳で交通事故死した後も、頑張ってこれたのは夫の分まで「親孝行をしたい」と言う思いもあったし、子供たちにも「お父さんの代わりにばあちゃん孝行を・・」って言って来た。


だから再婚なんて考えたこともなかったし、人間ドックで「再検査」などあると「ばあちゃんの前にコケル訳にいかない」って思ってきたし、私の「頑張る素」でもあった・・!


「明日は来ないからね」って言ったが、昨日も足は病院に向いていた・・・そして、昨日も「あすは・・・」って言って来たが、今日も多分行きそうな予感がする 


義母は夫の父親を戦死で亡くした(夫と同じ28歳とか)、その後は元々子供がいないところに養子に来ていた義父との結婚で、家庭の事情もあり再婚をするが私が夫と結婚した時にはすでに他界していた。


私が考えると「苦労の連続」だっただろうって思えるが、これまで「苦労話」など聞いたこともなかった。


全くの他人ばかりの家で夫二人と両親を見送り、まだ2歳位の義弟も亡くした様だけれど墓石に刻まれた名前で知った。


一番頼りだったと思う夫が亡くなった時の「放心状態」の義母を思い出す・・!


だから誰が大事かって聞かれたら息子や娘の前に「それはばあちゃん」と、私はいつも思うし私の「命の次に大事なもの」と思っている 


勿論息子たちやも娘も孫も可愛いし確かに「大切な人」ではあるが・・・!


1月に91歳を向かえた義母・・・国立での検査は5日の月曜日らしい。義弟たちと一緒に病院へって思ったが、整体院の予約が1時に入っていたから終わったら駆けつけたい 


毎日夫にお線香を手むけながら「ばあちゃんを守っていてね・・」って、秘かに声をかける・・!


昨日は義母宅に行き義妹の話を聞いたら、29日は岩沼の病院に行ってから国立に回されたらしかった・・!


一昨日行った時は顔に「黄疸」が出ているようで気になったが、やはり肝臓も悪いらしい。


当分はどこにも行けないが、ばあちゃんの顔を見に行くのを楽しみにしたい 


まだまだボケもきていなしし、元気に退院できると信じている。









]]>

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ