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狐瓜木(くるめぎ)神社 

2012年08月30日 外部ブログ記事
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狐瓜木(くるめぎ)神社

由緒
風伯神、事代主神を宮野山に勧請したのは貞観二年(860)と社記に伝え、八幡神3柱の勧請は永観2年(984)という。
文永十一年(1274)安芸國守護、武田信時が狐瓜木神社を佐東郡の惣社とした。

その後、大内義隆、毛利元就が神田を寄進している。
浅野家からは代々、祈願社として祭祀料や神器を奉納された。
延享四年(1747)社殿回禄し、宝物類を多く焼失した。

社殿は永観二年再建、大永5年(1525年)3建、文化二年(1805)
4建し、現在の幣殿拝殿は文化2年に改築され、神殿は大正元年に再建されたものである。
大正二年10月には、神社創建千年祭が盛大に執行された。
                             (広島県神社誌より) 

  
昭和20年(1945)8月6日、爆心地から4.98キロメートルで被爆。
爆風が直撃し、拝殿西側の柱のうち1本が10センチ内側にめり込んでしまったために土壁が崩壊。東の間の天井と屋根が突き抜けてしまいました。
西側にあった直径約二尺二寸の太鼓が東側の柱まで吹き飛ばされ、絵馬額面三十面が飛散するなど、被害は大きかったようです。
                                        (広島ナビゲーターより)

神社入口


由緒


階段中段の鳥居


さらに登る



狛犬が一対  阿  大正元年製








  










                           への字です 


                                       吽形
















                                           拝殿






木鼻 龍




十二支の額 文政四年(1821)
江戸期とは思えないタッチです。



本殿横の狐瓜木豊穣稲荷神社跡地






        狐瓜木豊穣稲荷神社跡地から拝殿方を見る 


                          本殿


拝殿前から・樹木旺盛でここからしか展望できません。

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