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平成の虚無僧一路の日記

私はオンリー1の虚無僧 

2012年08月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「尺八といえば虚無僧」と云うセリフは、最近通じなく
なりました。先日伺った会では、「虚無僧、見たこと
ありますか?。虚無僧 知ってますか?」という問いかけに 
全員「ノー」で、思わず「ここは どこの国ですか?」と
言って、笑いを得ました。

「古伝本曲」をそのままに吹くと、どうも反応が悪い
ようです。聞き手の期待と、本物の古典曲には感覚の
ズレがあります。

戦前、神如道氏が日比谷公園で尺八を吹いた時は、
「大勢の聴衆が押しかけて涙を流した」と言いますが、
今、神氏が再来して同じ曲を吹いたとして、何人の
人が耳を傾けてくれるでしょうか。

昭和40年代、海童道(わだづみどうどう)宗祖は「これぞ
尺八の古典本曲」と、我々の世代(当時は20代)を魅了し
ました。海童道は、現代人がもつ古典のイメージを
見事に具現化してくれたのです。現代人の求める新たな
古典を創出した前衛尺八家でした。

その後、海童道の『道曲』は 横山勝也氏によって
ステージ音楽用に色付けされ、一気に広められました。

そしてさらに40年後の今日、中村明一氏が、新たな
味付けをして、古典尺八界以外の評論家から絶賛を
浴びています。横山氏に慣れ親しんだ我々世代には
受け入れ難い吹き方ですが、それも時間の問題でしょう。

料理は 野菜や肉、魚、同じ素材を使っても、時代や
その国、その土地の人の好みによって、味や盛り付けが
大きく変わります。尺八も時代や土地柄、国柄によって
変わっていくものなのでしょう。変わらなければ
廃れてしまいます。

私の古典尺八の師は、実はジョン海山ネプチューン氏です。
彼の「鹿の遠音」「鶴の巣籠り」「下がり葉」は、
日本人以上に日本的な“力強さ”があります。その
パワーがお客の感動を呼び、それで、私は食べさせて
もらっています。

これを 虚無僧の大会で吹いたら「あんな『下がり葉』
聞いたことない」と陰口をたたかれました。先人が
吹いた通りに伝承するのがよいのか。それが 現代に
受け入れられないとしたら、受け入れられるように
アレンジしてこそ後世に受け継がれるものと思います。

そっくり同じものを伝えていくのが「継承」。時代に
即したカタチに変化して伝えられていくのが「伝統」と
何かに書いてありました。

その意味で、私は虚無僧尺八愛好家の中では異端児
であり、世界でオンリーワンでナンバーワンの虚無僧
です。人と同じことをやっていては食べていけない
のです。(これが本音)


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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