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慰霊碑 

2012年08月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

                   旧平良村 慰霊碑        
 
大正13年に平良村在郷軍人分会が砲身の下付を受け、近くの速谷神社に奉納されたものです。
その後、慰霊碑が建立された際に、この砲身が使われました。
慰霊碑はこの場所に移され砲身は碑の上部に建っていました。

筒口径15.2cm、砲身長さ6.34mで「四十口径安式十五糎砲身」と呼ばれる英国アームストロング社製です。
 


 
大正13年1月10日 呉鎮長官宛に訓令
  
無償下付廃兵器ノ件
四十口径安式十五糎砲身 呉一三号
大正13年1月10日 呉鎮長官宛に訓令
廃兵器無償下附ノ件
其ノ対軍需部保管ノ左記廃兵器ヲ附記ノ者ヘ無償下附方取計フヘシ 但シ現品搬出ニ要スル費用ハ下附ヲ受タル者ノ負担トス
右訓令ス

右国幣中社速谷神社備付用記念品トシテ帝国在郷軍人会岩国支部平良村分会長ヘ下附
一、四十五口径四一式十五糎砲砲身番号室八 砲架番号 呉二〇号 一門

呉二〇号とありますがこれが一等戦艦周防の砲身だったらしいですが
錆がひどく、砲身が十五度も曲がっていたため別の砲身に替えてもらったそうです。
 
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一等戦艦「周防」 
元はロシア軍のペレスウェート級戦艦のポビエダ。
明治35年(1902)7月31日就役し、翌年の旅順艦隊に編入
日本軍の陸上砲撃により旅順港で沈没着底

日本軍に鹵獲(ろかく)(敵の兵器や補給物資を奪うこと)されました。
 
明治38年6月から浮揚作業を開始、同年10月17日に浮揚、
帝国軍艦籍に編入され、一等戦艦「周防」と命名されました。
佐世保工廠で応急修理した後、横須賀工廠に回航、
明治41年10月、修復、整備を完了しました。
 
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大正13年6月27日 呉鎮長官宛に訓令  
無償下付廃兵器ノ件
帝国在郷軍人会岩国支部平良村分会長へノ無償下付廃兵器ヲ左ノ通改ム
右訓令ス

一、四十口径安式十五糎砲身 呉一三号 壱門
一、三十六糎魚型水雷 頭部共 壱個
 
代わりに呉一三号を下付してもらったそうです。
どの艦の砲身かは不明です。
 
可愛川公園になっています。
この公園が出来た頃小学生でしたが、当時近くに養鶏場があり
鶏糞臭く、公園も人気がありませんでした。
 




 
慰霊碑と砲身 なかなか斬新なデザインです。
最近綺麗にされたようです。
碑文は元衆議院議長であった灘尾弘吉


後方


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
明治時代のアームストロング砲とは思いませんでした。

 



 
市内に用があったので原爆ドームにも行ってきました


 








 
 
 

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