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雑感日記

カワサキ悲願の8耐優勝の想い出 

2012年07月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し




 
★こんな写真がFacebookのウオールに流れた。
カワサキモータースジャパン が7月からFacebookに参加した。
直ぐ、ツイッターでもリツイートしたし、
 
カワサキモータースジャパン‏@Kawasaki_JPN
カワサキモータースジャパンの公式フェイスブックページをオープンしました!内容はまだまだですが、これから充実させていきますのでぜひご覧ください!http://www.facebook.com/KawasakiJPN
 
Facebook でも紹介した。
220ほどだった『いいね』は、今270を超えた。
 
そんなKMJの FBの中にあった写真を取り上げて頂いた、中村貴志さんの写真をシェアさせて頂いたら、
それに山本靖さん がIMSの展示を見ました、などと懐かしいことを仰るものだから、もう一度思い出して書いてみようと思ったのである。
ホントに繋がるものである。
 
★伊藤ハムレーシングのこのマシン。
カワサキが8耐で唯一優勝を飾った93年の8耐のマシンなのである。
1993年7月25日、 ちょうど19年前の今日のことである。
 
私は3度目の国内市場担当の5年目、その前年には国内7万台の目標を達成して絶頂期であったが、かってのバブル時代のようなスポンサーの過熱ぶりも落ち着いた、そんな時期でもあった。
レースには、再び色濃く関係していた時期である。毎年7月末の8耐ウイークは鈴鹿で過ごすそんな時期だったのである。
世界の耐久レースを席巻していたチームフランスのKawasaki チームをしても、鈴鹿独特の高速8耐には優勝することが出来ずにいた。
この年初めて事業部にモータースポーツ推進部が出来て、故岩崎茂樹が初代の部長に就任した年なのである。
その時のレースチーム監督が大津信さんであったこと、覚えていなかったが、先日のFacebook の彼の記述で初めて確認した。
 
当時の日記を読み返してみると、今に繋がっていることが幾つかある。
Kawasaki、Good Times Concept が再度見直され採用された年でもある。
東京で今でもお世話になっている村島さんと本社総務の紹介で繫がったのはこの6月である。
技術部の藤井、大津くんなど当時の技術部トップと菊水で寿司を食ったりしている。250の2サイクルのレースを止めるという話が出たりしていた時期で、レースに関する話しであったことは間違いない。
 
 
★バブルがはじけて、スポンサーもちょっといっ時の派手さが失せた時代であった。
なかなかスポンサードが取れなくて、伊藤ハムとは本社のある方の紹介で成立したのである。そんなに大きな額ではなかったので、伊藤ハムにとっては宝くじに当たったようなものだったと思う。
カワサキの8耐については、『優勝を確実に狙える』ほどの実績がなかったのである。
よく勝てたとは思うが、まさに悲願の優勝であったと思う。
こんなサイトにこのように記載されている。
 16度目を迎えた8耐だが、国内4大メーカーでは、唯一優勝がなく、1983年(昭58)の2位(ラフォン・イゴア組)が最高だった。ルマン24時間レースは2連覇中、米国で最も伝統のあるデイトナ200マイルも昨年制していた。だが、どうしても8耐だけは勝てなかった。84?86年までは、リストラのためワークス活動さえできない苦悩の時代もあったが、8耐優勝の希望は捨てなかった。
優勝当日は、現地ズズかで伊藤ハムの方たちと祝杯をあげたのである。
翌日朝早く鈴鹿を立ち明石に戻った。
午後の本部会議は冒頭、シャンパンの乾盃から始まったのである。
 
★当時は博多のイムズに常設の展示場を持っていた。
そこに8月1日から、伊藤ハムと『8耐優勝フェア』を開催したのである。
 
それ以来カワサキの優勝はない。
今思えばヨコぞ勝てたものである。実力だけでは勝てない8時間耐久レースである。
一度しか勝てなかった、そんな年に現場にいて優勝の美酒に酔えたことに感謝したい。
 
 
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