メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

昭和2年生まれの航海日誌

あっぱれ名馬山内一豊の妻(2) 

2012年06月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 週刊競馬ブック「一筆啓上」は”高知に愛すべき人間と馬がいたぜよ”
で、亀和田 武氏の執筆であった。

 去年5月22日号では、高知で「第二回福永洋一記念」の観戦であった。

 蒸し暑い高知が競馬ゆかりの地であるとは思いもよらなかった。
 ところが、此処の基地に赴任して来て、すぐ後ろが競馬場、中学生時代
の洋一が競馬場の付近の道路で、競走馬に跨り運動をさせ、時には船に来て
将棋をしたり、一緒に飯を食べたことを聴いている中に、イメ―ジチェンジを
しなければならないと思った。

 高知城主が山内一豊であることを始めて知った。
 山内一豊の妻の夫である。こう言った方が判りやすい。

 小学校の読本で「山内一豊の妻」の一文があった。
これは、ひよっとすると、「馬くらべ」だったかもしれない。

 良妻賢母であるが故に山内一豊の後の経歴は追わなかった。
 支那事変が勃発し、日々に物資が底をつき初めた頃で、小学生に良妻
賢母を説いてみたところで、理解ができるものでなし、勤倹貯蓄を
諭した施策の一環でもあったようだ。

「彼奴はこの頃麻雀に来なくなたのう、競艇ですってんてんか」
「違う、違う、奥さんが、もう、これで止めなさい、といって30万ポンと
 出したのさ」

「それで、止めたのか」
「やめるものか。掴んで飯も食わずに飛んで行ったとさ、そして、倍に
 して戻ってきた」

「それから」
「きっぱり止めた」
「一豊の妻か、彼奴も偉いぞ! 出世するなあ」

 超の運がつ付くと、こんなもので宝くじでも引き当てたかも知れない。
でも、期待と真似はしてはならない。

 
競艇、競輪、競馬で蔵は建たない。
 兜町で株成金が生まれた例がない。
先達の格言は生きている。

 妻君も彼奴も可愛い孫に囲まれて元気でいてくれよ!

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ