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平成の虚無僧一路の日記

伊藤萬蔵の狛犬 

2012年05月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



毎朝、ラジオ体操をしている「那古野神社」の
狛犬に「塩町 伊藤萬蔵 寄進」と掘ってあるのを見、
ずっと気になっていました。あちこちで目にする
名前だからです。ネットで調べてみました。

「伊藤萬蔵」は 天保4年(1833)、愛知県の(現)
一宮市丹陽町に生まれ、昭和2年(1927) 95歳で
亡くなるまでに、全国の寺社 数百〜千ヶ所?に、
石造りの灯篭や鳥居、狛犬を寄進しているとの
ことです。

名古屋では 熱田神宮をはじめ 100カ所の神社仏閣。
愛知県内では 200カ所。東は、川崎大師、長野の
善光寺。京都では 東寺、仁和寺、清水寺、知恩院
など30カ所。和歌山県の「高野山」に10ヶ所。
四国八十八カ寺のすべて、さらに「厳島神社」、
「大宰府」と、私の行ったことのある 神社仏閣の
ほとんどに寄進しているのです。熱田神宮近くの
「頼朝公誕生旧地」と記した石碑も「伊藤萬蔵」
でした。

伊藤萬蔵は、1868年 35歳の時 明治維新を迎え、
時流に乗り、米の仲買・株取引・金融・貸家業と
巾広く商売の手を広げ、巨万の財力を得ました。
しかし、それを趣味や奢侈に使うことはなく、
すべて「神仏や世間様のお陰」として、全国の
有名社寺に石造物の寄進を続けたということです。

「伊藤」といえば「松坂屋の伊藤次郎左衛門」、
「イトマンの伊藤萬助」の一族かと思いましたが、
全く関係ないようです。全国の社寺に名を残した
こと以外は、ほとんど知られることのない篤志家
でした。

「晩年は景雲橋の東に隠居した」とのこと。
景雲橋は那古野神社のすぐ近くです。那古野神社で
「伊藤萬蔵」の狛犬を見て“気”になったのも、
何かの気付きでしょうか。

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