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雑感日記

若し、戦争がなかったら 

2010年06月16日 外部ブログ記事
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天皇陛下の玉音放送を聴いた。
よく聞こえなかったが、『日本は戦争に負けた。降伏をした。』ようである。

朝鮮京畿道京城府城東区の城東中学校の1年生であった。
この日から、私や私の家族、親戚たちにとって、今までと180度変わった環境、境遇が待ち受けていたのである。

当時の、朝鮮は日本の『外地』であった。
朝鮮も、台湾も、北海道も、『外地』と呼び、日本のことを『内地』と言っていた。
満州はどう呼んでいたのか知らぬが、子供心には満州も日本だと思っていた。


★私の本籍は兵庫県の明石である。
私が生まれたのは明石だが、その頃には、祖父は多分亡くなっていたのだと思う。
祖父はかっての山陽電車の創立など電力に関することに関っていたようである。
その後、祖父は朝鮮太田というところで電力会社を設立していて、
私が太田にいたまだ幼い頃は、伯父はその社長をしていた。
聞いた話だが、伯父も父も早稲田を卒業して直ぐ社長や重役になったようである。
現地には父がいて、伯父はずっと明石が本拠であった。
実際の経営は、昔で言う番頭さんたちがやっていたのだと思う。

私が小学校に入る頃、幾つかの電力会社が合併でもしたのだろう、
京城、ソウルの『南鮮電力』という今の韓国をテリトリーの大きな電力会社になって、伯父は副社長となったが、そのときも定位置は明石で、年に何度か京城を訪れていた。
会社の事務所は当時の『南鮮ホテル』と言った一番大きなビルの中にあった。
今も多分そのままビルは残っているはずである。
新聞の人事往来には伯父の名前が載ったりした。

父は、何をしていたのか私は知らない。会社などには出勤などしていない。
多分、株の配当か何かで食っていたのだと思う。
旅行をしたり、絵を描いたり、優雅な生活であった。


★母方の実家も朝鮮で土木関係の事業をやっていたし、伯母の実家は満州大連で大豆を扱っていた。私は行ったことはないのだが、写真で見る伯母の実家は、ヨーロッパのお城のような家だった。

まあ、一言で言えば、みんな結構金持ちで、
所謂戦時中でも、少なくとも外地にいた私たちは、何の苦労も、空襲などもない平和で、豊かな生活をしていたのである。

本家の伯父に子供が居なかったので、伯父は私を跡取りと思っていたのだろう。
特に可愛がってくれたし、いろんなことを私に教えようとした。
家系に関することなど、父からは一言も聞いたことはない。
私が、幾らかでもここに書けるのは、みんな伯父が私に叩き込んだのである。
父は、そんなことには全く無頓着で、まあ言えば自由人であった。
私は、どちらかと言えば、そんな父の性格を受け継いでいるのだと思う。
伯父の教育を鬱陶しく思うことも時にはあったのである。

★私の家は、小学校の頃、特に明石ではまだ普通に言われていた『士族』であった。
曽祖父の古谷萬平は明石藩松平家の剣道指南番であったとか、その妻はなんと言ったか?結構有名な歌人であったとか。
私のところにその歌人のことを聞きたいと、どこかの女子大生が電話をしてきたこともある。

松平家のお殿様の菩提寺が明石の長寿院だが、伯父がその檀家総代をしていて、私がまだ子供の頃はお盆には東京からお殿様の子孫の方がお墓参りに来られて、伯父の家に泊られていた。

その頃は、まだ、お殿様扱いで普通の方とは違って大変だったのである。
伯父の家には、お殿様どころか、天皇陛下のご名代も泊られたりして、昔で言う旧家なのである。


★昭和20年8月15日までは、私はそんな境遇の中で、父は一言も私にそのようなことも言わなかったが、伯父は私を『古谷家の総領』として育てようとしたのである。
伯父のそんなスタンスは、戦後直ぐ近くで生活するようになってからも、ずっと続いた。
私の人生の歩く道は、伯父が決めてくれたとも言えるだろう。

その年の12月8日、日本に引き揚げてきたのだが、その日からは急転直下、
全く違った生活が始まったのである。
まさに天と地みたいな極端なことで、こんな貴重な経験はなかなかしようにも出来ないのである。

『若し戦争がなかったら』
私の人生は、間違いなく違ったものになったであろう。
しかし、本当にどちらがよかったかは、解らないと思っている。
むしろ、現実の今の人生のほうが、多分『よかった』と言うよりも『面白かった』と思っている。


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