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昭和2年生まれの航海日誌

老人クラブでついたチエ 

2012年04月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


         (海の町 親寿会)

 窓を開けると、晴れて風向は北西で微風であった。
 日差しの強い花見になるだろう。

 つばの広い中折帽子を取り出し服を整えた。カーディガンを
はおり、うすてのコートを持って行くことにした。

 サクラ、会食、出席者の顔ぶれも配慮に入れてのことだ。
 会長が
「出かけに衣服の選択をすることは、高齢者の脳の活性化に
 繋がる」と、
云うたことが判るような気がした。

 サクラの下にシートが敷かれ、長テーブルの座布団がおかれて
いた。

 ネームプレイトを付け着席した。前には小柄なご婦人、両隣は
男性だった。

 程なく会は始められた。
 すると、三味線を抱えたキレイドコロの登場となった。
「おいと会」のメンバーである。

 初手は、景気のよい“ドンパン節”(秋田県)で一気に会場は
盛り上がった。
 次は”斉太郎節(宮城県)でこれは一番だけで切り上げられた。
なんだか遠慮気味のところがあるようだった。

 炭坑節(福岡県)になると、踊りだす人も現れた。
手の下ろし方,膝の進め方が堂に入っていた。

 これが終わってところで、演奏者はきっちり別れを告げられた。
潮時がいい、と呑べいの私は感心した。

 皆が拍手で感謝を込め送った。

 真夏のような中で一時間あまりが過ぎた。
 三人、五人と続いて帰り始めた。

 街角で別れた。
 あの人たちの顔を覚えられるものではなかった。だが、これから
この町の界隈で必ず会うことになる。

 その時の欠礼は許されるものではない。
 すると、それと思しき方に出会ったら、誰彼なしに挨拶をしなけば
ならないことになる。

 することにしよう。
 今まで無愛想ものであっただけのことである。」
一生それで終わるよりもよいことだ。

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