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古高山城 

2012年02月12日 外部ブログ記事
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               安芸高山城址


小早川家の家祖・土肥実平は寿永3年(1184)一ノ谷の戦いでは源義経の軍に属して戦功をあげました。
合戦後、吉備三国(備前・備中・備後)の惣追捕使(守護)に任ぜられました。

実平の子遠平は、土肥郷の地名である小早川氏を称し、承久の乱で戦功を挙げて安芸国沼田荘を与えられました。

建永元年(1206)高山城は小早川氏の居城として遠平の孫・小早川茂平により築かれました。

その後、小早川氏は沼田小早川氏と竹原小早川氏に分かれますが、高山城は沼田小早川氏(本家)の
居城でした。    

天文10年(1541)竹原小早川家の当主小早川興景が継嗣なく早世したため、
毛利元就の三男徳寿丸(小早川隆景)を養子に迎えます。

天文13年(1544)隆景は竹原小早川家の当主となる。

沼田小早川家の当主小早川繁平は病弱であったので(失明していたとされる)、隠居に追い込まれ、
天文19年(1550)隆景が沼田小早川家をも継ぐこととなり、両家は統合されました。

隆景は天文21年(1552)対岸の新高山城に居城を移したため、高山城は廃城となりました。


登り口。 有名宗教屋さんの上の道から上がれます。お墓があります。



しばらく登ると道が分かれています。
まっすぐ行くと崖の道になります。楽そうな左の道を行く。


ちょっときついジグザグ道



H型と言うか、いの字というか二つの峰を利用したかなり大きい城です
説明板には全国でも五指に入る規模と書かれています

なんだか建物がぶっつぶれています。
ここから道は東に折れます。下からここまで15分くらいです。


出丸の先の丸 城の最東端
見張り台のようでもあります。


展望


東端の郭から出丸への道。振り返り東方を見る


南方の展望


出丸と西丸の堀切


堀切から出丸の土塁を見る


西丸土塁から堀切、出丸を見る


西方からみた西丸


西端にはボタンが群生しています。


西丸を抜けると展望が開けます
イワオ丸に出ました。


イワオ丸は北へ伸びるおおきな郭です。


岩の下の池?井戸?


イワオ丸の西
にも郭が続きます。


土橋?を渡ると高野丸(権現丸)に出ます。


西から見た高野丸(権現丸) 奥の岩の上に三角点があります。


さらに西の西の丸 新幹線が高山城と新高山城を貫通しています。
新高山城も大きな城です。
大きな山城がこれだけ隣接しているのは珍しいのではないかと思います。



対岸は新高山城


画像一杯です。
まだ城域の半分です。次回本丸方面に続きます。
どちらの峰もよく手入れされています。
本丸方には石垣も多く残されています。

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