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竹原・町並み保存地区 

2012年02月05日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

                 竹原・町並み保存地区

照蓮寺

元は定林寺と称し曹洞宗の禅寺で、小早川氏代々の子弟が学んだ寺です。

文禄の頃(1592〜1595)寺は荒廃してしまいましたが、慶長八年(1603)僧浄喜が真宗に改宗、
僧恵明(獅絃)、恵範(片雲)等のすぐれた学門僧が輩出しました。

江戸中期から後期にかけて竹原の文化センター的役割を果たしており、当時の文化人の遺墨も数多く残っています。
本堂は元文二年(1737)の再建で周囲に広縁を設け、広い畳敷の三つに区画した外陣、一段と高い内陣、粽付の丸柱と組のもの、金箔押しの透かし彫の欄間など、広島県の代表的な浄土真宗本堂といえます。

経蔵は享保2年(1717)の建立で、方三間堂、宝形造、本瓦葺。鐘楼門(明和三年1766)庫裡、裏門、
水屋が配置されています。

また庫裡の裏には、日本百庭園にも選ばれた室町期の小祇園[しょうぎえん]があります。
                              (竹原観光案内より)

町並み保存地区の端になります。

一間一戸楼門
二階は三間あり、国重要文化財の高麗(こうらい)時代の鐘があります。

なんか一階の柱が細いような気がします。


楼門下からの本堂。
大きいかんざし燈籠があります。


境内からの楼門
かんざし燈籠は寛政十年(1798)製


高麗鐘
峻豊四年(963)の年号があります。
小早川隆景が寄進したものとされています。
朝鮮出兵の際に持ち帰ったものとか、交易によるものとか諸説あります。

龍のつり具


小祇園[しょうぎえん]                鬼瓦
           

胡堂
時をかける少女の舞台にもなりました。

本町通の突き当たりになります。


頼惟清(らい・ただすが)旧宅。
安永四年(1775)頃の築。惟清は頼山陽の祖父で、ここで紺屋を営んでいたそうです。
子の春水は広島藩の儒学者となり、その子が山陽です。



お抱え地蔵


抱えてみましたが15キロ位かな



かかえ地蔵にいく途中に古い宝篋印塔があります



町並み


お好み焼き ほり川
アニメ「たまゆら」の中に登場するお好み焼き屋のモデルとなったお店です。


ほり川の前から西方寺にいたる道があります
西方寺石段

西方寺門より

西方寺本堂
もとは田中町に在る禅寺で地蔵堂の隣にありました。
現在地には、もと禅寺の妙法寺があり慶長七年(1602)に火災で焼失し、翌年妙法寺跡のこの地へ移り、浄土宗に改宗しました。
境内には、本堂、鐘楼、庫裡、法界地蔵堂、山門などの建築が建ち並びます。
境内前面には、一見城郭を思わせるような壮大な石垣があり、錚々たる寺観を呈しています。 
入母屋造、一重、平入、本瓦葺、前面と側面前方を吹抜とし、側柱には太い敷桁を載せるだけの簡単な構造をしており、江戸中期のこの地方の仏堂の典型的形式をもつ貴重な建築です。
須弥檀は禅宗様式となっています。          (竹原観光案内より)


一見城郭を思わせるような石垣


普明閣

西方寺本堂横の高台に位置する普明閣は、宝暦八年(1758)の建築。
西方寺の地に妙法寺があった頃の本尊である、木造十一面観音立像(県重要文化財)を祀っています。
方三間宝形造、本瓦葺の二重屋根、舞台作りとなっており、京都の清水寺を模して建立されました。

建立年代としては新しいものですが、特異な屋根形式と優れた細部意匠を持ちます。
町のどこからでも望むことができ、竹原市の景観の中心となる重要な建築です。
普明閣にのぼれば、竹原の町を一望することができます。


普明閣よりの展望

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