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任助法親王の墓 

2012年01月29日 外部ブログ記事
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任助法親王の墓

JR宮島駅の西にある任助法親王陵墓です。

任助親王は伏見宮貞敦親王の第四子で、後に奈良天皇の御猶子となりました。
天文八年(1539)御年15で出家し、京都仁和寺(にんなじ)門跡二十世をつがれました。

晩年に九州地方御法流再興を思召し立たせられ、
はるばる宮島まで御下りになって大聖院にお立ち寄りになりましたが、
同寺良弁の遺弟良政がまだ幼く、法務に堪えないので示論教授の為にしばらく
御止まりになりました

当時の人たちは、厳島御室様といって敬慕していました。
仁和寺(にんなじ)は京都市右京区御室(おむろ)にあります。

突然病に伏せられ、座禅のままお隠れになったと伝えられています。
御年60歳でした。         (廿日市観光協会より)



往時には宮島が見える海岸だったようですが、現在はJRの線路がすぐ前を通っています。


任助法親王墓は元禄十五年(1702)の厳島道芝記に大野村の御室山に任助法親王を葬ったと記されています。

任助法親王墓の場所はここ、大野の赤崎か、五日市三宅の円明寺かで論争があり、
宮内省は昭和十年(1935)に臨時御陵調査会を設け昭和十六年(1941)に任助法親王の陵墓と
治定されました。


任助親王御墓


右側は線路です。


宮内庁管轄です


この奥にあります。



柵外より
5〜6M前は線路です。宮島駅のホームが見えます。


やや正面から
後伏見天皇八世皇孫任助親王 こちらでは法親王ではなく親王です。


お墓の正面には「厳島御室」 右面に「天正十二年甲申歳十一月二十九日」
五輪塔の水大には梵字で「阿」の字が刻まれています。


三宅の円明寺にもまた寄って見ました
この日は住職さんは居られませんでした。


任助法親王の宝篋印塔 元文二年(1737)建立


御位牌は背後の山の頂にある極楽寺にあります。

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