メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

ZRX1200S城

・備後護国神社 

2012年01月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

福山の県立歴史博物館の企画展「ひろしまの城と戦」&千田嘉博教授の記念講演に行きました。企画展は見た事のある展示が多く物足りませんでしたが、千田教授の講演は面白く楽しめました

備後護国神社
福山城の背後の天神山に鎮座

昭和三十二年(1957)までは阿部神社となっていました。
阿部神社は文化10年(1813)に時の福山藩主が、歴代の祖霊を祀ったのが始まりです。

明治元年(1868)福山藩主・阿部正桓が、石見益田の役と函館戦争での戦死者の霊を祀るために、
旧深津郡吉津村に招魂社を創立したのに始まり、明治二十六年(1893)に福山公園(現在の福山城)の
本丸人質櫓跡に遷座し、明治三十四年(1901)に官祭福山招魂社に改称しました。

昭和十四年(1939)に内務大臣の指定を受けて福山護國神社と改称しました。
 
昭和十五年(1940)の紀元2600年を機に、芦田川河畔に新たに広大な境内と運動場を有する神社として
建立されることになり、第二次世界大戦(太平洋戦争)中も工事が続けられていましたが、
完成目前の昭和二十年(1945年)8月8日の福山大空襲によって焼失してしまいました。
 
第二次世界大戦中後の一時期は「備後神社」を名乗り、福山城本丸にあった元の福山招魂社に合祀されていました。

昭和二十九年(1954)に、社殿を阿部神社の本殿を改装したうえで合祀することが決定し、

昭和三十一年(1956)に復興、それに合わせ、福山藩主の阿部氏が建立した阿部神社は境内社として残っています。
現在の「護国の英霊」以外の祭神は、このとき合祀されたものです。

翌昭和三十二年(1957)に備後護国神社に改称しました。  (ウィキペディアより)

主祭神は
大彦命(おおびこのみこと)・武沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)

??豊幹別命??読み方さえ判りません。
0
備後国出身の護国の英霊、阿部正弘をはじめ歴代備後福山藩主

大彦命・武沼河別命は四道将軍の内のニ神で親子です。
四道将軍の内、吉備津彦命(きびつひこのみこと)が西道担当なのですがなぜか大彦命・武沼河別命が
祭られています。

御由緒


福山城の北、天神山に鎮座します。
麓にはたくさんの慰霊碑があります。


すぐ南に福山城があります。


拝殿神門


石段が見事です。


石段上から見下ろす。


拝殿


拝殿前の燈籠 嘉永二年福山城主・阿部正弘寄進
胴体の部分は修復されているようです。


拝殿・本殿

本殿横には阿部正弘公像潜りなるものがあります。



南側にも参道があります。
阿部神社の参道でした。
右の建物は旧阿部神社舞殿


神馬殿


宮本武蔵腰掛岩



南参道下より旧阿部神社門

こちらの狛犬は新しく平成製?


南の参道には文化製の燈籠が並び、しっとりとした雰囲気です。


西石段上の狛犬。
製作年はわかりません
うんから見たあ

あ形、


うん形 角付き









 

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ